鉄道大臣

夢寐のたわごと

寂しくならない方法

昨日、どこかの老人ホームで、90歳になる老人が何階かの高みにある自室の窓から外を眺めながら、10年前に死んだ妻のことについて呟きながら、老人が孤独死する気持ちもわかる、と言っている風景をテレビで放映していた。 それでも、この老人は生きていた。

私も、90歳になるが、テレビに現れた老人と同じように老人ホームに住んでいる。 妻に、10数年前に死に別れた。 でも寂しくはない。  テレビの老人に子供がいるかどうかは報道していなかったが、私には4人の子供がいる。 

と言っても、全員が家庭を持っていて独立しているから、年中、顔を付き合わせるわけではない。 特に、最近は、外出自粛が求められており、私自身が、自分が高齢であることを自覚しており、コロナの感染が怖いから、外出を自分でも控えているので、電話、パソコンのメールで連絡し合う以外には、子供たちの関係は、疎遠といってよい。

では、老人ホームに同居する他の仲間と親しく交流しているかと言えば、そうでもない。 ご想像になるように、老人ホーム居住者は、概して、各家庭での「厄介者」であり、自分のことをひけらかすわけではないが、私の知的レベルなり、趣味なりに合う仲間は少ないから、交友することは滅多にない。

私が住む部屋のサイズは、施設側の説明によれば、16平方メートルである。 ♪狭いながらも、楽しい我が家♪を地で行っている。 最近は、外出が怖いと共に、部屋を出ても面白くもないから、専ら自室に閉じこもっている。 ところが、幸か不幸か、体調は基本的に良好である。

では、如何にして無聊を自ら慰めているか?  もちろん、第一にテレビが挙げられる。 その他には、読書、パソコンがある。 補うものとしては、子供や友人達との電話によるチャットがあるが、電話料を考えると長電話は出来ない。 今一つ手段としては、施設が提供する食事を摂らないで、「自炊する」と言う方法がある。

以上、僅かではあるが、狭い自室の閉じ籠りつつも、寂しくならない方法は、要約すると、基本的に自分の意識を「自分の心」へ向ける、つまり、内向させるのではなくて、「外向させる」事だと言える。 しかし、自律的に「自分の心」を左右することは、極めて難しい。 

この難しさを克服するための手段としては、目を外へ向けるための手掛かり、例えば、テレビ、本、パソコン、筆(鉛筆、ペンなど)、電話、台所道具、などの道具を使うことがある。 人それぞれと言うが、こうした「手掛かり」も人によって異なると思うが、自分の手掛かりを見つけることが、寂しくならない為の「秘訣」である。

他人事ではあるが、私から助言を加えるなら、「歌、ゲーム(碁、将棋、トランプ)、読書、盆栽、庭いじり、散歩、踊り、その他」などが、そのような手掛かりを見つける為の対象領域になると思う。