鉄道大臣

夢寐のたわごと

潜在的差別意識

反省を込めて、私の年代(現在90歳)辺りの年頃、ひよっとしたら、殆どの日本人の間には、「潜在的な」差別意識があった(ある)。  昔、まだグアム島を含む南洋のマーシャル群島が、日本の委任統治下にあった頃、多数の日本人が、南洋群島を訪れていた。 その頃の下記のようなコッミカルな流行歌が流行った。

わたしのラバさん 酋長の娘
色は黒いが 南洋じゃ美人
赤道直下 マーシャル群島
ヤシの木陰で テクテク踊る
踊れ踊れ どぶろくのんで
明日は嬉しい 首の祭り
(以下略)

「ラバさん」とは、英語のLoverのことで、「恋人」を意味した。 当時は、漫画にも、「土人」と言う言葉が使われ、広く黒人を意味していた。 南洋のマーシャル群島の住民も、土人、または、黒人(食人種族)だと思われていた。この歌の文句から推量されるように、当時の日本人は、実体を知らないとはいえ、黒人を差別していたのである。 少なくとも、私の心の底のどこかに、この差別意識は、生き残っている。 

こうした「区別意識」は、現在もなお、どの日本人にも残っていると思う。 例えば、「外国人」と言えば、殆ど瞬発的に「欧米人」を連想するだろうが、ベトナム人、中国人、韓国人、フイリッピン人、なども外国人である。 「外国人労働者」を老人ホームの介護ヘルパーとして雇うと言えば、現在の老人ホームに住むどの老人たちも、異様だと感じるはずである。 外国人介護ヘルパーに面倒を見て貰うのは、「畏れ多い」と思うか、「変だ」と思うかは、人それぞれなので、何とも言えないが、「異様だ」と感じることには変わりはない。

異様感と差別意識、ないし区別意識とは、違うかもしれないが、そんな人達に、自分の肌を触られたり、下の面倒を見て貰ったりするのは、おどろおどろしく、かつ馴染めないことには変わりはない。 リンカーン以前のアメリカ人のように、黒人なら、「下僕(しもべ)」として、老人ホームのヘルパーに使えるかもしれない。 

こう述べている間に、今一つの差別意識に気が付いた。 それは、介護ヘルパーを「下(しも)」僕と見下す身分意識だ。 彼等は、有給の労働者だが、その有給労働者に面倒を見て貰う年齢の老人にとっては、「下」僕なのだ。 

「スズメ百まで、踊り忘れぬ」と言うが、寿命が100歳まで伸びた日本人にとっても、生きている限り、昔、叩きこまれた「差別意識」は、消え去らない。 もちろん、「有給の労働者」と言う認識は老人にもあるが、「有給」が形を変えた差別意識につながっている。 「どうせ、お金は払っているんだろ」という「主人としての見下しの意識」を生んでいる。