鉄道大臣

夢寐のたわごと

リーダーシップと信心

このブログは、試(私)見です。 私は、比較的長寿を楽しんでいますが、いわゆるキリスト教徒でも、仏教徒でもありません。 ずう~と今まで、自分に宗教心があるか否かも承知せずに、生きてきたのです。

話題をリーダーシップに変えますが、私のブログのどこかで、私は近代経営学の先駆者として有名なPFドラッカーが、「仕事を成し遂げる者こそ真のリーダーであり、その者の行動こそがリーダーシップである」、と述べていると報告しています。  

さらに、私はアメリカの行動科学者、ポール・ハーシイ博士が、リーダーシップは、「タスク・レレバント(Task Relevant: 課題関連)である」と述べていることも報告しています。 要するに、リーダーシップと人物論とを混同してはいけない、リーダーシップは、リーダーの人格や資質を論じるものではなく、「仕事=課題」に関わるものだということです。

翻って、人生には、色々なタスク(課題=仕事)があります。 中でも、根本的な課題=仕事は、「充実して生きる事」です。 人間には、生まれる前のことは、何も分かっていません。 同じ様に、死後のことも分りません。 人間に分かっている部分は、文字通り、「生の過程=活きる事」だけです。 

生まれる前の事も、死後の事も、両方とも、おそらく、誰にとっても、霧の中の空漠な未知の世界だと思います。 しかし、生まれる前のことについて、あれこれ悩む人はいません。 問題は、未知の死後の世界です。

未知の世界の霧の中を、独りで、寂しく歩むことは、誰にとっても、恐ろしいことです。 余程、気の強い人でも、救いの手を求めたくなる筈です。 そんな時に「救い」となるのが、おそらく「信仰」でしょう。 神仏に助けを祈ることによって、自分の気持の頼りなさを補おうとするのは、人情です。 歴史上、そうした救いの手を延ばした有名な宗教家が、何人も輩出しています。 

キリストやブッダアッラーは、もちろんですが、彼ら以外にも、極めて多くの信仰上のリーダーが居ました。 彼らは、「暗夜」の行く先を灯で照らして、先導するリーダーでした。霧の中の未知の世界を訪れるにあたっては、誰もが、安心できる先導者(リーダー)が欲しいと望むはずです。 

現世の事は兎も角、来世の事は誰にとっても、大きな関心事である筈です。 リーダーの要件は、①目標を設定する事、②その目標へ向けてフォローアーを導く事、でした。 宗教的リーダーは、正にその要件を満たしていると言えるでしょう。 たとえ、導かれる目標(先)が間違っていようとも、フォロアー(信者)は、ひたすらリーダー(信仰)に従い、付いて行くのです。 

リーダーの決意と責任は、重大です。 正否の証明無しに、目標を掲げ、その目標へ向けて、従う人たちの死後の命運まで握り、彼らを導いて行くのです。 その決意は、あたかもルビコン川を渡って、ローマ政府の年来のルールを破って、自らの命はもとより、率いる部下たち(彼等の納得を得て)の命運までをも危機に曝したジュリアス・シーザーの決意のようです。

人々の信仰は、偉大です。 その偉大な信仰の力まで左右するリー
ダーの在り方を規制するのがリーダーシップです。