鉄道大臣

夢寐のたわごと

目標の設定と達成の不可分性

リーダーシップにおいて、二つの基本要素があると繰り返し述べてきた。 目標の設定と目標の達成である。 この両者は、分かち難く結びついている。 いや、一つの物を、二つの局面から見ていると言っても良い。 つまり、結果と過程である。 縁起が悪い例かも知れないが、「生涯」とは、一方は「死」、他方が、「生」である。  一方は、一生の最後の断面を言い、他方は、長い生の過程を言っている。 いずれにしても、一つの「生涯」を見ている。
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仏教には「生死一如」ということばがあります。 生死は一つのごとし、生きるということはいつか死ぬ、死ぬということはそれまで生きている、生と死は切り離すことはできない、よって生死は1つである、という意味です。 なんとなく表裏一体ということばにも似ているような感じですが、生と死(という人間にとって重大な問題=筆者注)を使っているところに、もう少し深い意味がかくされているようです。

(ウイキペディア)
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結果について述べる場合も、必然的にプロセス(過程)へ言及することになる。 同様に、目標設定を語る場合も、目標達成の局面に言及せざるを得ない。  

翻って、設定が、リーダーの着眼(発想)に関わると言うことは、「何」を課題(仕事)に選ぶかの問題であり、達成は、そのようにして選ばれた課題(仕事)を、「如何」に果たすかの遂行技能と意欲の問題である。 

設定は、根本的に「着眼(発想)」に関わるので、リーダーの問題(課題)選定能力、ないし創造力に関わってくる。 他方、達成は、そのようにして選ばれた課題の成就、遂行に関わっているので、リーダーの「技能」、すなわち、遂行能力と意欲、に関わっている。 

別言すれば、遂行技能は、容易に非人格化、ないしマニュアル化でき、かつ部下(フォローアー)や他人へ委託(デリゲート)出来るが、着眼や発想は、そうはいかない。 組織では、その組織が大きければ、例えば、部長、課長、係長、主任、など、数多くの中間(下位=サブ=部下)リーダーが置かれる。 事業体全体をリードする大本の全体リーダーは、その事業体の全体を制するので、彼の着眼、発想の優劣は極めて重要な問題になり、中間リーダー(管理者)は、全体の目標(課題=仕事)から派生する下位の(派生=所与)目標を担当するだけなので任務の重大性は、比較的軽い。 

従って、中間リーダー達の下位(中間=所与)目標達成の失敗の責任は、最終的には全体リーダーの責任に帰し、彼の進退に関わる。中間(下位)リーダー(管理者)の達成の対象(つまり、下位目標)は、上位目標達成の為の「手段」であり、過程であると考えられる。 下位リーダーに求められるのは、分与された下位の(所与の)目標の達成、つまり、全体リーダーの目標達成への寄与(貢献)である。 いいかえると、組織の中間のリーダーは、全体のリーダーの全体目標を達成するための手段である。 

組織の全体目標を各レベルの下位目標達成へリンクするのが、中間リーダーの目標達成であるが、このようなリンキングを可能にするのが、目標の設定と達成という両面性である。 目標が、課題の「設定」と課題の「遂行」という両面への可能性を備えているので、組織(人間社会)では、この両面性が人間活動の縦横リンキングの役割を果たしている。 

ちなみに、中間リーダーの目標は、原則として、上位リーダー、延いては、全体リーダーの最終目標達成の必要に合わせて分与されているので、「設定の為の着眼、発想」の創造力は、全体のリーダー対するほどには求められないが、それなりに「発想・工夫」の余地があるのが一般である。 往々にして、全体リーダーに「偉人・傑物」が求められるのは、このような理由によるものと思われる。