鉄道大臣

夢寐のたわごと

目標設定のための着眼

着眼は、当人の意識をどこに定める(置く)かの問題である。 暗中で提灯も与えられず、全くの手さぐり状態で、己(おのれ)の行方を定めるには、(桁)外れの勇気、確信が求められる。 まして、己れ独りでなく、多くの人を率いている場合は、なおさらであるし、事柄が重大であれば、更に大きな勇気と確信が求められる。 

ここで言うところの勇気は、「捨て鉢」や進退窮まった時に抱く焼糞の気持ちから惹き起こされるものではない。人の命ほど、重大な物はない。 近頃、コロナ感染拡大が、日々報じられ、多くの人が感染の不安におののき、とるべき行動の方向が判らず、人々が右往左往しているこの中で、人々に「斯くあれ」と目標を示し指図する者(リーダー)は、コロナ感染拡大の解消(の時期)を予知し、制御できる者か、(予知内容の真偽、正否はともかく)予知や制御が可能だと確信している者か、のいずれかだと思われるが、リーダーが人間なら間違いなく後者である。 

ところが、コロナ感染の拡大のような人の命に関わる事態の展開の予知が不可能と思われる事態の中で、進むべき方向を考えず盲滅法に事を進めるのは、単なる無鉄砲であり、端からリーダーシップと呼べるものではない。前途が見えない道で、一歩踏み出す前には、普通は先ず、用心、(手)探り、軽い試し、を行って、警戒した上で、左右どちらかの脚(前脚)を軸にして、後脚から前脚へ体重を移す。 前脚が安定していると確認できたら、再び、体重を後脚から前脚へ移動する。 

リーダーの場合、こうした用心深いステップを重ねて、ソロソロと目標に向かって人々を(率いて)ゆく事になる。 「兵は、拙速を貴ぶ」などと言うが、これは柵際(土壇場)へ追い込め(詰め)られた「荒れ馬」の暴発暴勇であって、深慮遠謀に富むリーダーの為すべきところではない。桁外の度胸、確信は、正気に支えられるべきものである。先見の明と言う言葉がある。先の見通しが利くことであるが、未来は誰にも見えないから、このことは人間には、まず無理である。 が、当てずっぽう、と言う言葉もある。 誰でも、当てずっぽうに事を為すことが出来るが、同じ当てずっぽうでも、誰の、どのような人物の、「当てずっぽう」かは、重要である。 

博覧強記な人物の当てずっぽうか、素人の当てずっぽうか、で随分、彼らの当てずっぽう予想の信頼度が違ってくる。 博覧で博見な人の「予想」の方が、そうでない人の博覧・博見よりも、ましや寡覧・寡見な人の予想よりも、信頼度が遥かに高い。 まして、コロナ感染拡大騒動のような人の(そして自分の)命にかかわる重大なケースでは、このような(似た)事態を多く経験した人(例えば、専門家)の当てずっぽうの信頼度が高い。

単なる「あてずっぽう」に元づいて、自分の命はもちろん、他の人たちの命に関わる決断、この場合は、コロナ菌回避の方向を示す上では、現今の政治家は持ち合わせていないと思われる(「その決断が間違っていようが、いまいが」の躊躇を乗り越えても、敢えて下そうとする極めて大きな、かつ重大な確信に基づく決断を必要とする。 いまだ、そのような決断を下し得る政治家は現れていない。 それにもかかわらず、コロナ感染は、刻々、拡大しつつある。 この急場を救うだけの先見の「明」を持ち、世間のフォローアーを先導してくれる神の様な偉人、豪傑なリーダーの出現が望まれる。