鉄道大臣

夢寐のたわごと

見て憶える

「見て覚える」。 この言葉は、東京のある料理店の先々代が、自分の子供に伝えた言葉だそうだ。 この店の現在の主人は4代目だそうだが、今日もこの先々代の言葉を順守し、多くの客に愛され、繁栄している。 この言葉を、一層生々しく言うなら、「肌で覚える」と言い換えることもできる。 この方法こそ、日本の一子相伝の「工芸的」技術の伝承を繋いできたものだ。

頭だけで覚えるのと、身体の一部へ沁み込ませて覚えるのとでは、「覚えること」の程度が違う。  頭だけじゃやなくて、身体も覚えるのだ。 例えて言えば、「言葉」の様なものだ。 外国語、例えば英語を勉強する際、多くの人が体感しているように、自国語に比べて極めて使いづらい。 何しろ、外国語は、「頭で」憶えるだけなのに、自国語は、命と生活を賭けて覚えている。

「習うより、慣れろ」と言うが、全くその通りで、「慣れる」のは、「生きる」のと同じだからである。 昔から、弟子に仕事を仕込むときに、「盗め!」と言ったと言うが、この教えも判るような気がする。 「昔から~」と言った古めかしい表現を使ったところで、更に、私の様な「高齢者なら」使うであろう表現で言えば、「習う」のと「慣れる」のとの違いは、近頃の若者の使う「ヴァーチャル」と「リアル」の違いである。 

老人の立場でいえば、ヴァーチャルな学習は、リアルな学習じゃない。 テレワークは、本物の仕事じゃない。 テレワークには、「仕事をやった」実感が伴わない。 リモート学習や診療は、先生と「密なる」な学習じゃないし、「肌を触る」診療じゃない。  これじゃ、憶えた『気』、治った『気』がするだけで、「芯から」憶えたわけでもないし、「芯』が治るわけでもない。

先々代の代から、「リアルな修行をしろ」、と言ってきたのである。  単に、知的に覚えるだけなら、聞くだけで間に合う。 本当の意味での日本的工芸の「実」を学ぶには、見て、盗んで、身に付けなけりゃならない。 世界の工芸技術者達が、日本建築や日本の伝統芸実の驚嘆する理由が、そして一千年の歴史を越えて、木造の五重塔地震国日本に、今もなお立っている理由も、ここにある。