鉄道大臣

夢寐のたわごと

虎は死して皮を残し、人は死して名を 残す

 

標題は、「十訓抄」からの抜粋である。 十訓抄は、日本文化の産物であるから、この諺は、間違いなく日本製である。 ここで、私が指摘しようとしている点は、「名を残す」である。 「名」を重んずる事は、我が日本人の伝統であった。 例えば、「養子」を英訳すると、[adopted san」なり、「adopted daughter」なりになると思うが、この訳語と原語の日本語との意味は、大きく違う。

日本には、家督相続と言う制度があった。 相続は、「男の子、それも嫡男」が行う。 次男以下は、「部屋住み」であり、貶めて「冷や飯食い」と呼んだ。 部屋住みの男の子は、何所か、男の子に恵まれない、女の子にしか恵まれない不幸だが(封建時代の事なので、「不幸」とすることをお許しいただきたい)高禄の武家(富裕な商家でも良かった)の「婿養子」になれる機会を「虎視眈々」と狙っていた(逆玉になると、時に、出身の宗家の嫡男よりも高禄に恵まれ、身分も上になった。 

似た例としては、徳川宗家の相続人になった御三家中の紀州出身の徳川吉宗の例がある。 この例は、「名古屋=尾張とばし」の一例でもある。 近例としては、コロナ問題における「緊急事態宣言」において、関東=東京近辺県から、名古屋のカバーを避けて、福岡へ宣言のカバーを飛ばしたケースがある)。 

欧米の「adopted」は、文字通り「養子」なので、偶然は別として、家禄や財産などの付録は付いていない。  日本の「養(子)」は原則として、付録付き、いや付録以上の一族郎党に関わる一大事であった。 付録の有無どころか相続人が居ないと、家禄没収や一族断絶の憂き目にあう恐れまであったから、男系相続人の居ない「宗家(本家)」は、親族どころか一族郎党にとって、大迷惑であった(例えば、大名に相続人が居ないと、家来、家来の家族、御用達業者、諸々にとって、迷惑この上無かった)。 このように、お殿様や大富豪になると、お家断絶は極めて広範な範囲の人々に迷惑を掛けることになった。

ちなみに、代表的な婿養子として上杉鷹山(うえすぎ ようざん:初代は、上杉謙信)を挙げることが出来る。 初代は、新潟の推定120万石の金沢の前田家にも比すべき大々名であったが、二代目上杉景勝前田利家徳川家康らと共に、豊家五大老の一人)が、大阪の陣で、豊臣方(石田三成方)に与(くみ)して徳川家康を敵にした為、米沢へ転封され、録高も30万石へ減じられた。 上杉は、豊かな土地、新潟の120万石から、痩せた土地の米沢30万石へ転封され、その後、「お国返上」の状態へ疲弊して追い詰められたが、九州宮崎の高鍋藩主、秋月種美の次男、治憲が、疲弊、衰退しつつある上杉家へ養子として招かれて、上杉の「名」を継ぎ、その結果、上杉家を立て直して、上杉鷹山と号し、天下の名君と呼ばれるほどの大名になった)。

封建の時代には、「名」こそ「家」、更には、「自分」の象徴であった。 従って、「名」を守ることは、自分のみならず、「家系」を守ることでもあり、己独りの個人的問題ではなかった(だから、武士は名を惜しみ、名誉を貴んだ)。 また、当時は、「男系」が原則であったから、「男子無き家」は、お家断絶の恐れがあった。 大げさに言えば、「名」は、複数の人たち、つまり「家=公」に関わる事であり、己一個人の「私」の問題ではなかった。 「滅私奉公」とは、己を次に、公(家)を先にすることであり、「従って、名を守れ!」は、日本男児の本懐であり、生涯の一大事であった。

これこそ日本人の「名誉」の基本であり、社会(公=家)へ尽くすことこそ、男女を問わず、日本人が抱くべき基本的倫理であり、良心であった。 「名誉」は、幼童の頃より、男女を問わず、日本人の心の底へ叩き揉まれた社会道徳(人間関係)の基本であった。 

他方、この「男」主体の封建社会では、男を産まぬ嫁は、その家を去れと言われた。 元々、女の子は、生まれた家を去り、他家へ嫁いで、他家の子孫(名)を継ぐ役割を担っていたから、女は、女なりの使命を、元々、(不本意だっただろうが)担わされていたのである。 娘を他家へ嫁がせて、その他家の役に立たぬ女子(出戻り=産まず女)は、出自の家の親の面目にも関わる一大事であった。 嫁が、男の子を産むと、その嫁の「手柄」とされ、親族はもちろん、隣近所、遠くの知人までが、これを祝った。

時代は、流れて、過去のこうした因循姑息な思想は、消えつつあるが、しかし、老人ホームの中では、空気は相変わらず淀んでいる。  仲間(?)の老婆たちは、嫁さんや息子の家族に「男の子」が、産まれたと言って喜んでいる。 もう、「名」はもとより、「なりふり」も構わなくなっているようだ。 日本男児たる矜持も、もうあかんね。 名誉や恥は、泡沫の夢と消えて行く。 ♪ 芸者ワルツで、島田も揺れる ♪ なんて、古めかしい大正・昭和初期の日本男児は、先の戦争で、死に絶えたようだ。 仮に運よく生きているとしたら、年齢は、おそらく推定92歳以上だと思う。

時代は変わった。 浅はかで、馬鹿な若者さんよ。 これからは、IT、AIだよ。 デスクワークも、テレワークになって行く。 私の様な過去の生き残りでも、スマホは「ややこしいから、あかんけど」、パソコンぐらいなら、なんとかこなせるがな。 時代が変われば、文化も変わる。 文化が変われば、言葉も変わる。 言葉が違えば、交流できん。 交流出来ねば、関係は途絶。 ウザイ老人は孤独だが、「死なずに、消えゆくのみ(松笠)」。 何しろ、寿命が100歳、いや、センチュリオンの時代が来ているから。