鉄道大臣

夢寐のたわごと

家督(かとく)

私は、9人兄弟姉妹の末っ子として生まれました。 私以外の者は、すべて死んでしまいました。 私は、残る只一人であり、本拠も遠い故郷から、関東へ移しました。 遥々関東までやってきて60年ほどになりますが、「行ってきます!」と青雲の志を抱いて生家を出ましたが、未だに「帰りました!」とは、既に亡き両親には言っていません。 私は、関東に在住して独立し、自らの「家」を築きました。 父は早く、母は、私がニユーヨークに滞在中に亡くなりました。 先祖、両親の墓は、故郷の大きな墓地の中にあります。 私の家の家督は、私が子供の頃、長兄が継いでいました。

私が独立し築いた家の家督は、私の子が継ぐ訳ですが、私自身には、家督相続の問題はありません。 既に、長兄の家系が、故郷の家の家督を継いでいます。 従って、私には家の「名」を継ぐ責任もありません。 

家督(かとく)は、家父長制における家長権を意味する。 鎌倉時代家督の嫡子単独相続、遺産の分割相続が原則とされた。 室町時代に両者とも嫡子相続を原則としたが、現実には完全な制度として確立しておらず、内紛が発生した。 のち江戸幕府の絶対的な権力を背景として、家督の嫡子単独相続が確立した。

なお、主に武家においては、断絶した家名を他氏の者が相続することを名跡を継ぐといい、実子または血縁者が相続する場合の家督継承と区別された。 主な例としては平姓畠山氏を源氏の足利義純が相続し、源姓畠山氏に変わったことなどが知られている。

また、鎌倉時代には家督権は財産権とあわせて跡職(跡式)・跡目と称して嫡子が継いだが、庶子に分割する相続財産をも跡職と称した。 その後、江戸時代には先代の死亡にともなう相続の場合を跡目相続、先代の隠居による場合を家督相続と呼び分けた。

明治憲法下においても家制度の一環として法制度として存続したが、日本国憲法施行直後の民法大改正によって廃止された。 とはいえそれから70年以上経った今日でも家督を重んじる社会通念が西日本を中心に残っている。

ウイキぺデイア

家の恥を述べるようですが、私の生家(父親)は、別姓の家の出身だと、子供の頃から聞いていました。 では、「養子だったのか」と聞くと、そうではないとも聞かされました。 父が「姓」を変えた理由は、父の家に「借金」が多く、その借金を逃れるために、母の家の姓を名乗ったと、聞きました。 出身が、百姓だったとはいえ、父にとっては「姓」は大切なものだったと思います。 ちなみに、母の出身は、漁師の家だったと聞かされていましたから、少々ふざけていえば、父は、「漁夫の利」を得たのです。

御一新(明治維新)で、苗字を持つことが百姓、町人にも許されることになったので、急拵えのそんじょそこらのありきたりの姓を、文字通り「とってつけた」のではあるまいか、と思われるので、我が家の姓を貶める(おとしめる)ことに、それほど罪悪感は感じません。 それでも、私の努力を通じて我が家の「名」をある程度は清めたと思うので、名を貶めることには、多少の抵抗は感じます。 しかし、自分の子供たちには、このことをあまり強くは言ってはいません。

無学な田舎の百姓の息子と漁師の娘の間に生まれた地方都市の商家の9人兄弟姉妹の末っ子の私に「家督」などを語る資格など全くないのですが、偶々あるアメリカ人恩恵者の経済的支援を得て大学で歴史学を勉強する幸運に恵まれ、また、アメリカ系石油会社に勤務し、広く諸外国を見学、体験する機会にも恵まれ、外国事情と日本の実体を比較する機会を得たので、「家督」や「家系」の問題に関心を持つに至りました。 

私自身の家については、私が分家の初代だと思っていますが、家督や家系は考えません。 家の系譜や家督などと言う旧時代の発想は、むしろ、我が家から排除すべきだ、と思っているのです。 

やや独断的かもしれませんが、人間は一代限り、己の主体性を確立して、慈善良し、博愛良し、己の思いを通して、一生を過ごすのが一番というのが、私の考えですが、「後は野となれ、山となれ」のような捨て鉢な気持ちで言っているのではありません。 自分なりに充実した人生を求めているのです。 子供たちは、子供たちそれぞれが、それぞれの個性を求めれば良い、とも思っています。