鉄道大臣

夢寐のたわごと

らしく

人間社会では、「~らしく」あることが求められます。 いや、求められるのではなくて、人は、無意識に「~らしくあろう」とします。 さらに、無意識に、人は「~らしくあってしまう」のです。  例えば、日頃「先生!」と呼ばれていると、「習い性となり」、先生らしく振る舞ってしまうのです。  

昔、日本の兵隊さんの中でも将校は、将校らしく威張っていました。 高級将校は、それこそ大変でした。 東条英機なんて、偉い将校は。「ちょび髭」を生やして、日本国民全体を戦争へ引きずり込みました。 

軍人勅諭の聖訓五箇条

―軍人は忠節を尽くすを本分とすべし
一、軍人は礼儀を正しくすべし
一、軍人は武勇を尊ぶべし
一、軍人は信義を重んずべし
一、軍人は質素を旨とすべし 

「名は体を表す」と言います。 つまり、形式は実体を示すということでしょうか。 本当か?と疑いたくなります。 「羊頭狗肉」な詐欺紛いの商売が横行していますから! まじめにいうと、「肩書は、実態を示す」と言ってもいいでしょう。 「先生!」なら、先生らしく、謹厳実直に振る舞ってくれれば許せるのですが、中身が無いのに、肩書だけで威張ってる奴もいます。 奴凧のような奴です。

 ちなみに、恥ずかしながら、わが父は、「小学校中退」の肩書を持っていました。 我が母は、「無学文盲」でしたが、両親とも明治時代の育ちでしたから、両親の生まれ育った田舎では、小学校へ行かせてもらっただけで、「御の字」。  しかし、私の地方の言葉で、本音を言わせて貰えれば、「へんねし(やきもち)」の感はあります。 父母共に、「学の無い」のが、昭和の子供にとっては、恥ずかしかったのです。 

偉いさんの子供たちは、ええべべ着せて貰ろうて、自分はアカンでも。おとっつあんが偉いだけやのに、何でそんなに威張ってんね。 貧乏人の9人の子供の末っ子の心の悲劇ですな。 自分は、将来は、えらくあらねばならん、と心に決めました。 「艱難、汝を珠にす」。 ええ珠や。