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夢寐のたわごと

西欧式リーダーシップ論への挑戦

近代経営学の父と呼ばれるオーストラリア人、Peter・F・ドラッカーは、次のようなリーダーシップの定義を唱えています。

ドラッカーが挙げる3つの定義

数あるリーダーシップの定義の中で有名なのは、オーストリア経営学者、ピーター・ドラッカーによるものです。 リーダーシップに必要なのはカリスマ性ではなく人格を高めることといのうのがドラッカーの説。 その3つの考え方を紹介しましょう。

1.リーダーシップは仕事

ドラッカーは著書で「資質ではなく仕事」とリーダーシップを著しています。 組織の目標や優先順位、基準を定めて維持することを仕事として発揮できるのが、ドラッカーにとってのリーダーシップ。 カリスマ性などの人を引き付ける要素も「煽動的資質にすぎない」と強調しています。

2、リーダーシップは責任

また、ドラッカーは「地位や特権ではなく責任とみること」をリーダーシップの要件に挙げています。 うまくいかない時も「その失敗を人のせいにしない」。 すべての責任を背負う潔さを持つことが、「部下を激励し、前進させ、自らの誇りとする」という理想のリーダーシップにつながるという考え方です。

ウイキペディア

他にも、多くのリーダーシップ論が西欧では、唱えられていますが、現在主流を為すリーダーシップの定義は、ドラッカーのそれです。

日本の経営学は、基本的に西欧のそれを追っ駆けているだけですから、独自のものはありません。 過去の日本のリーダーシップ論は、言うならば西欧のプルターク英雄伝に倣った「人物論」でした。

従って、最近の日本のリーダーシップ論が近代化されたとはいえ、ドラッカーのいう「リーダーシップは、仕事である」という考えを、そのまま批判することもなく、丸写しで頂戴したと思われます。 

考えてみると、日本人の観念には、「仕事」と「職責」、更には「義務」との違いはないようです(「職責」と「責任」の観念と極めて紛らわしい。 日本人の頭の中では、ほぼ同一と言えます)。 こう考えると、ドラッカーの説を丸写しした際に、「リーダーシップは、義務である」と錯覚した気配が窺われます。 これでは、ドラッカーが主張する「リーダーシップは、リーダーの資質や人柄ではない」という本旨が失われてしまいます。  

私は、日本人が尊重する、例えば、武士の覚悟(武道初心集:大道寺有山;岩波文庫)のようなものが、リーダーには必要だと考えています。 なるほど、ドラッカーが主張するように、リーダーシップは「課業=Task」、ないし「仕事=Work」であると受け止めるべきでしょうが、それでは、リーダーシップの技能・技術の面を捉えたに過ぎません。 リーダーにも、「心」が必要です。 悪しきリーダーでも、強圧的にリーダーシップの技能を振るうことはできます。 しかし、江戸時代の米沢の藩主、上杉鷹山のような優れたリーダー(大名)は、技能に優れたいたばかりでなく、精神にも卓抜していました。