鉄道大臣

夢寐のたわごと

不登校爺

私は、間もなく91歳になろうかとする爺ですが、いままでに2回パソコン教室通学を、腰折れ、つまり、中途退室(不登校)した覚えがあります。 教室の授業が面白く感じられないのです。 若い先生(私の年齢では、誰でも「若い」のですが)が、適度に「お年のわりに、よく為さいますね。 そこまでできる方は、あまりおられませんよ」と、オチョクッテくれる。  

なにしろ、91年の年月を経た古狸の爺ですから、そんな見え透いた煽て(おだて)には、易々とは乗りませんよ。 授業が進むうちに、だんだんに、「もうやめた!」という気持ちが頭をもたげてくるのです。 「老年、疲れやすく、学成り難し」かと思っていたら、そうでもないらしいのです。 では、「何が理由で?」と考えてみたのですが、「教科書」が気に入らんのですね。 

フランスに始まり、それがイギリスへ飛び、その果てに、遥か北欧に近いドイツ連邦へ移ったコロナ感染を防ぐためのロックアウトに抵抗する西欧の人々の気持ち(心)に通じるものが、あると気付ました。 拘束からの解放、これです。 教科書は、教室側で定めたレールです。 このレールが、教室参加者、少なくとも、私にとっては、「拘束」だったのです。  

行こう 祖国の子らよ
栄光の日が来た!
我らに向かって 暴君の
血まみれのが 掲げられた
血まみれの旗が 掲げられた
聞こえるか 戦場の
残忍な敵兵の咆哮を?
奴らは汝らの元に来て
汝らの子と妻の 喉を搔き切る!

ラ・マルセーズ(フランス国歌:革命歌)

 

少なくとも、この不登校爺の心意気は、このフランス革命歌のようなアンチ教科書の「自由(解放)」を求める爺の雄叫び(おたけび)だったのです。