鉄道大臣

夢寐のたわごと

義務(ぎむ)

義務とは、勤めを「義」とする行為です。 では、「義」とは何でしょう? 義は、下記の定義が示すように、己の行為(あり方)、そして己の務めが正しいと自認することです。

(ぎ)は、人間行動・思想・道徳で、「よい」「ただしい」とされる概念である。 義人とは「堅く正義を守る人を言う。

広辞苑第6版)

従って「それは、私の仕事ですから~」と言うことは、その仕事を進んでやります、と言う意思を示したのですが、どうも実際を観察すると、「いやいや」仕事をしている節が窺がわれます。 

日本人の場合、どこかで、「義務」が「強制」に変わってしまったようです。 強制だと、監督の目が行き届かないと、「サボる」とか、「投げやりの仕事する」とかに、終わってしまいます。 日本人は、仕事と義務との区別をハッキリさせないようで、区別させないからこそ、義務(仕事)を安請け合いし、陰でサボるとか、いい加減な仕事をする、とかの傾向が見受けられるのです。 

端的にいうと、日本人は、欧米人と違って、強制にも簡単に従う反面、結局のところ仕事をさぼったり、投げやりな仕事したりする狡(ずる)さがあります。 強制されたからと言って、日本人の心は自立心(独立心)の強い欧米人と違って、波打つことは無いのです。 唯々諾々、強制を受け入れる心の弱さ、自尊心の薄弱さ、悪く言えば、狡猾さが、近代日本人の気質に見受けられます。 

この傾向は、聞くところの武士の精神には、見られないところです。 名誉を重んじ、圧力に屈しない大和魂は、いまいずこ。 先の大戦における敗戦の故か、明治以来の近代化の故か、日本人は変わったかのように見受けられます。 絶え間なく天変地異に襲われる世界から閉鎖されていたこの極東の小さな島国に住む小さな人々の心意気は、最早、昔の物ではないでしょうか!