鉄道大臣

夢寐のたわごと

心のケアⅡ

後述の説明に関係があるので、説明が長くなると、予め、お断りしておきたいと思います。 私は、昭和一桁の時代に、ある大都会の商家の9人兄弟姉妹の末っ子として生まれましたが、私の兄弟姉妹の中で、高等教育を受けた者は、私独りです。 その高等教育も、ある専門学校の給費金や数人のアメリカ人の経済的支援を受けて、果たされました。  

私は、ある尋常高等小学校の「高等科」を卒業しております。 従って、大学なども、「2年遅れ」で入っております。 大学へ入るまでの道すがら、日本帝国陸軍造兵廠勤務や農学校、旧制中学校在籍なども経験しました。 私が、アメリカ人経済支援者によって送り込んで貰った大学の学部は、当時の日本では珍しかった「文学部・図書館学科(3期生)」でした(その後、図書館学科は、ITの発達と共に名称が変えられ、現在は、同大学、大学院文学部「図書館、情報学専攻」になっているようです)。 

私は、図書館学科卒業後、学科長(アメリカ人)の奨学金を受け、同大学の大学院へ進学し、歴史学古代ローマ史)を専攻しました。 同大学院終了後後、私は、あるアメリカの大会社へ就職し、同社の「教育訓練部」へ配属され、部長職へ上り詰めた後、中途退職し、あるアメリカ人学者の著作を翻訳・出版して、そのアメリカ人学者(博士)が創設したリーダーシップ・センターの日本支部の代表を務めました。 その後、病気の為、暫らくの間、意識を失って入院し、退院後、ある系列の有料介護付き老人ホームに入居し、20年前後生活して(その間、意識を回復)、現在に至っています。 

以上の私のバックグラウンドを見てお判りでしょうが、私は大まかに言って、3つの分野を、専門にしております。 その第一番目は、図書館学(司書の資格を持っています)、二番目に、歴史学(趣味として、歴史物・時代小説を好み、広く読んでいます)、第三の専門は、経営学(行動科学:リーダーシップ)です。 

最近、私が、経営学、行動科学を専門にしているにも拘らず、耳新しい言葉を聞きました。 「ピア・カウンセリング」が、それです。 この分野については、私は、玄人ではありませんが、経営学を齧り、企業内教育訓練に携わったことがあるので、全くの素人ではなく、いわば「半」玄人です。 にも拘らず、この言葉は、私にとって耳新しいのです。 なお、「ピア」英語に由来する言葉で「同輩」、「同僚」、「仲間」という意味です。 つまり、仲間同士でカウンセルすることが、ピア・カウンセリングです。 その公式の定義らしいものを紹介しますと、下記のとおりです。

ピア・カウンセリングは、1970年代初め、アメリカで始まった自立生活運動の中でスタートしました。 自立生活運動は、障害を持つ当事者自身が自己決定権や自己選択権を育て合い、支え合って、隔離されることなく、平等に社会参加していくことを目指しています。 ピア・カウンセリングとは、自立生活運動における仲間(ピア)への基本姿勢のようなものです。

東京都八王子市 全国自立生活センター協議会

上記の説明における「障碍者が、決定権や選択権を持つ」、という点については、私も大いに賛成しますが、後半の「~仲間への基本姿勢のようなものです」という説明がなんとなく尻切れトンボに聞こえて、曖昧で、私には意味が良く分かりません。 つまり、文章全体が「竜頭蛇尾」で、俗な表現を許して貰えば、「褌が締まっていない」のです。 

そこで、いますこし異なったソースから、ピア・カウンセリングの定義を調べてみました。 この二つ目の定義は、明快でした。 この運動(カウンセリング)は、障碍者同士が、励まし合い、お互いの障害を受け入れて、自立を試みることを狙いにしています。 そうした狙いなら、第三者の健常者でも協力・支持できますが、この定義にも、今一つ気になる点があります。 私は、健常者を「第三者」としましたが、私の説明は、健常者を局外に置いた指導的視点からの「観察」に過ぎません。 更に、下記の定義中でも、カウンセルするカウンセラーをも局外に置いています。 

ピア・カウンセリングの目指すものは障害者の自立生活を援助していくもので、そのために障害者が自己を受容し、自己信頼に満ち困難にたち向かっていけるよう精神面のサポートをすること、また自立生活上で必要な情報、社会資源の提供なども行う。 何よりも大切とされていることは、相談する人もカウンセラーとなる人も対等な関係であるということである。

八王子ヒューマンケア協会:野上温子

なるほど、この運動は、本来、障碍者の自立を目指したものですから、それでもよいのかもしれませんが、私にはカウンセラーが局外に立つ、いわば「上から目線で指導する姿勢」には納得ができません。 最近の表現を使えば、これでは障害者に「寄り添って」、「障碍者の身になって」カウンセルする姿勢に欠けます。 この障碍者の身になる姿勢が無ければ、この定義に謳っている「対等な関係」が生きてきません。 

翻って、仲間同士で「ピア」カウンセルすることは、例えば、親(心)友同士の間なら、あり得ると思いますが、社会人一般の間でも、「ピア」カウンセルは、おそらく珍しいでしょう。 まして、「心」身障碍者(心「身」障碍者でなく)同士のピア・カウンセルは不可能に近いと思います。 従って、老人ホームや(ウツ患者・認知症患者を扱う)病院などでは、第三者のカウンセラーが不可欠ではないかと思うのです。 

この「ピア」カウンセルという発想は、定義によれば、アメリカ発の発想であり、それも1970年(約50年前)に言い出されたものですから、比較的新しい発想です。 アメリカ発という意味で、自立性、主体性を強烈に求める人権思想の強い欧米人の発想であり、他人志向傾向の強い日本人には、なじめない思想です。  その意味で、私は、この発想を歓迎しますが、日本人向きにするには、もう一皮剥く必要があります。 幸い、新しい発想です。 日本人向きに、新しく「築き直す」余地を残しています。  

私は、日本人は、主体性が希薄で、他人志向的であると述べました(私の生涯の半分をアメリカ人の友人やアメリカ人一般と生活を共にした経験から言っています)。 しかし、日本人は、他人や仲間・友人、などを大切にし、労る優しい心を持っています。 その意味では、「ピア(仲間)」を労わり、カウンセルすることは、日本人の第二の天性(セコンド・ネーチャー)に適っていると思います。 

慈悲心を重んじる日本人の習性に適った「ピア・カウンセリング」は、対象を障碍者に限ることなく、日本人一般の間でも今後の展開が期待できる新しい分野だと思います。 その技法の詳しい点の展開と説明については、半玄人(半素人)で、しかも老人ホームに住む91歳の老人である私には、荷の勝ち過ぎた課題(イッシュー)です。

ピア・カウンセリングについては、話題提供と着眼点提示をもって私の関与は終らせて貰い、今後の一般人のピア・カウンセリングの展開は、後進のその途に関心のある若者に譲りたいと思います。