鉄道大臣

夢寐のたわごと

ホールデングスの落とし穴

「大きいことは、良いことだ」とばかり、猫も杓子も、企業を持ち株会社化している。 私が住んでいる中程度のサイズの老人ホームも、他社を吸収して(吸収されて)、大型化し、ホールでイングス内部に老人ホーム系列を複数成立させ、入居者の扱いも、異ならせている。 具体的には、以前までは系列の老人ホームの間同士なら、場所が違っても、加算料金なしに移動できたのに、新しく別系列の老人ホーム(会社)を吸収したので、系列の異なる老人ホームの間の移動は、「契約の結び直し」を求めるようになった。   

私は、ある系列の老人ホームを3回程移動して、20年ちかくなるが、具合がいいので喜んでいた。 先日、同一ホールでイングスの中に、別系列のろう人ホームだったが、具合の良さそうな部屋が空いていたので、その部屋への移動を申し入れたが、契約を新たに結んでくれと要求されて(相当な額の新たな資金の投資が求められる)、当惑した。 ホールでイングス側も、事業であり、商売であるから、当然かも知れないが、今まで加算料金無しに移動してきた私としては、「約束が違うじゃないか!」と、腹が立つ。

持株会社()(もちかぶがいしゃ)とは、他の株式会社を支配する目的で、その会社の株式保有する会社を指す。 ホールディングカンパニー英語:holding company)とも呼ぶ。 他の株式会社の株式を多数保有することによって、その会社の事業活動の指針を決めることを事業としている会社である。

ウイキペディア

私にとっては、老人ホームも、ホールディングスも、関係はない。

要するに、ただの「棲家」なのである。  大げさに言えば、まるで、この寒空の下、非正規雇用者がコロナによる非常事態宣言を受け、職と住む家を失い、僅かばかりの手許金で街角へ放りだされて佇みながら、「これからどうしよう」と当惑するウラブレタ貧相な老人のように感じる。 

それはそれ、この他にも、ホールデイングスがもたらす不自由が幾つもある。 その第一は、「縦割りの業務割当て」である。  特に、急速に潰れそうな小会社を寄せ集めて傘下へ入れて、大きくなったホールディングスに、その弊害が現れやすい。 寄せ集まった小会社、それぞれに、「小なり」とは言え、それなりの伝統や気風がある筈である。 人は、自分が育ってきた環境の影響を受けやすく、その影響を守ろうとする。 まして、同じように吸収された別の競争に値する小会社があるとなるとそうである。 そこには意地もある。 その結果、江戸時代の各領地の大名の様に、幕府という統括する上部組織があるにも拘らず、互いが切磋琢磨し、群雄割拠することになる。 早い話が、相互に「治外法権」を主張する。 

私が住む老人ホームでも、同様の弊害が起こっている。 入居者への食事の提供を、同一ホールデイングス傘下の別の小会社が行っているので、入居者たちを直接管理する老人ホーム側のマネジメントの要望が、料理担当の小会社のマネジメントへ伝わらない(受付けない?)のである。 まさに、絵に書いた「治外法権」である。  

こうした同一ホールデイングス内のお互いに治外法権を主張して、「群雄が割拠する」状態を生み出すのは、ホールデイングス創立の趣旨に反し、その力を削ぐものである。 そういえば、似たような状態が、医療の総合病院内でも観察される。 身体の調子が悪いと、病院へ駈け込んでも、どの「科」が、その体調不調に適当するのかが分からない。 「自分で判断しろ」では、医者はいらない。 

更に、一言加えるなら、日本政府の運営も、似たような状態で行われている。 インターネットの利点の一つは、情報の縦割り連絡の制約を越えて、横断的に情報が伝達されるところにある。 現代はIT(情報技術)の時代である。 政府も、遅蒔きながら、デジタル省の創設を言い出している。 ホールデイングスが、業務を縦割りで分担させている限り、本旨に悖る(もとる)と言えなくもない。