鉄道大臣

夢寐のたわごと

世界の主要都市の位置Ⅱ

日本は、4季に恵まれた稀有の小国です。 アメリカ、中国、ロシア、など、広大な土地に跨る大国はともかく、この小さな島国において春夏秋冬の変化に富む四季と相対的に大きな人口を抱えた国は、世界でも珍しい国です。 北は北海道、南は沖縄諸島、極寒の土地から、熱帯の島までに連なる日本列島に住む人々には想像もつかない寒い国々が、欧州には散らばっているのです。 日本人が憧れるパリ、ロンドン、ニューヨーク、ベルリン、モスクワなどは、どの街を取り上げても、冬に寒い極寒の乾燥した土地にあります。  

日本本州の冬は、北の果ての青森を除いては、寒くて雪が多いと言っても、せいぜい零下2~3度までです。 多数の日本人は、温かく、変化に満ちた、湿潤な柔らかな気候を楽しんでいるのです。 

人間は、環境に順応します。 自分の生活環境、自分の文化、自分の伝統、などが、自分の物の見方、考え方を支配します。 世界を見る目も、当然、所属する文化、伝統、環境の影響を受けます。 西欧人たちは、殆どが寒い國々、寒く、乾燥した土地の、四季の変化もない、そしておそらく乾いた空気の中で生きる人たちです。 彼等の物の見方は、我々の湿潤で、潤いのある物の見方と異なって当然なのです。 

理詰めに物事を測ろうとする合理主義が、感情に流れ易い情感主義と相いれない面もあるのは、止むを得ません。 日本人の世界では、「智に働けば、角が立つ。 情に棹させば流される。 意地を通せば 窮屈 だ。とかく、この世は住みにくい(夏目漱石:草枕)」でしょうが、西欧人は、自己の主体性を主張し「智に働いて、意地を通そうとします」。  

日本人が唱える「自由」は、数百年続いた身分制度から、突如として解放され、天から与えられた未経験だった「自由」です。 革命や思考を重ね、多大な犠牲と苦難を払った後に克ちとった自由ではありません。 日本人の自由は、明治時代の「自由民権運動」の結果、観念的に理解(?)した自由で、汗が滲んでいません。 本当の理解ではないのでしょう。 例えば、日本人の「自由」は、現代の「新型コロナ感染」に伴う外出自粛要請に、簡単に応じた優しい「自縄自縛」でした。 それに対して、フランス人、イギリス人、ドイツ人、アメリカ人は、「外出自粛」に抗して反対運動を展開して「自由」を要求しまた。 この日本人の簡単に「要請」に応じる優しさを「国民性だ」と片付ける識者の「思考の無さ」を残念に思います。 なぜ、そのような「国民性」が日本人に備わっているのかを、考えるべきです。 

翻って、欧州、北アメリカの酷烈な気候(寒さ、乾燥、など)は、日本人に、容易には想像できない強烈な主体性(人権)の確立を願う要求、「闘争」の気風、自由を求める精神が、彼等の文化、伝統の背後に、潜んでいます。 約1500年の穏やかな土地と気候に恵まれた歴史を持つ日本人の心には、西欧の酷烈な精神は容易に移植できません。 明治は、まだ過ぎていません。 我々は、未だ幕末の世界に生きているのです。 IT結構、AI結構、でも、これらは付け焼刃です。