鉄道大臣

夢寐のたわごと

癒される

「癒される」。 この言葉は、よく聞く言葉です。 本当に良く聞きます。 テレビ上でも、人々の日常会話の中でも、この言葉は、何時も流れています。 それほどに、日本人には「癒される」必要があるのでしょうか? 癒されることを望むのは、「心が痛んでいる」ことの反動です。 我々の心は、それほどに「傷ついている」のでしょうか?  

癒「される」のは、受け身の姿勢です。 他律的です。 他者の助けを求めています。 なぜ、それほどに、他人に構って貰いたいのでしょう。 自分で、傷口を舐めることはできないのでしょうか? 

この言葉が、よく聞かれ、かつ世間に広く受け入れられているのは、世間が「他律的」傾向を持つことを示しているのでしょう。 この言葉を聞くと、世間の誰もが、「労わられ」、「癒される」ことを願っているかのようです。 

「癒される」という言葉には、日本人の「弱気」と「他律性」が示されています。 この弱気や他律性は、どこから来ているのでしょう。 自ら奮い立つ自律的な「強気」は、どこへ行ったのでしょう。 先の戦争に負けたから、強気が消えて、弱気が頭を擡げて居るのでしょうか? 「撃ちてし、止まん」、「欲しがりません、勝つまでは」、の強気が、日本人の心にも、あったのです。  

日本人の心の弱気風潮に関わりなく、世界は、前へ前へと前進しています。 「下を向いて、トボトボと歩いた」のでは、世界の進歩に乗り遅れます。 「上を向いて、意気揚々と歩かないと」、世界の進歩については行けません。 「癒される」ことを望むのではなく、自分で、傷口を舐めるのです。