鉄道大臣

夢寐のたわごと

道具(どうぐ)Ⅱ

エジプトのピラミッドは、ご承知の如く巨大な石造建築物である。あのような巨大な石造建築物を構築するには、余程の人力が必要だったと思われる。 もちろん、一人の人間に出来ることではなく、多数の人間が寄って集って組み上げたに違いない。 それにしても、一つの石ですら、相当数の人間が寄り集まらないと運べない。まして、石の総量を考えると! 「梃子(てこ)」を使った?  

概説

道具は、石器のように、切る、叩く、などして他に直接作用するものから始まり、近代のスイッチのように何かに間接的に作用するものまで広く発展している。 人類は道具を作り、使いこなし、さらに発展させる能力を持ち、これによって複雑な文明を形作ってきた。 道具は文化の重要な側面の一つである。 道具の分類として道具を作るための道具を「二次道具」として区別する説がある。 

かつては「道具を使うのはヒトだけ」と言われた。 だが現在では動物が道具を使用する例も多く知られており、特にチンパンジーは何通りもの道具を使うことが知られている。 カラスが木の枝を釣り針のように加工して毛虫をつる行動が確認されている。 そこで、そのような道具と人間の道具を比較した結果、「二次道具を使うのはヒトだけ」と言うようになった。

(ウイキペディア)

たとえ梃子を使ったにしても、一人の人間が頑張るだけでは、あの

巨大なピラミッドは作れない。 複数の人間がやったに違いない。

とすれば、その複数の人間を指揮監督した別の人間が居たに違いない。 力のある別の人間が居て、その人間が多数の人間を「道具」として使ったのだろう。 

道具と言う意味では、鳥やその他の動物でも道具を使う。  例えば、鳥は餌として捕ってきた虫などを、木の枝にさしての残しておき、後で食べると言う目的のために、木の枝を道具として使う。 だが、人間は、ピラミッドを作るという別の目的のために、他の人間を「手足」として使う。 つまり、二次道具として、他の人間を使う。 鳥が使う枝と言う道具は、餌の保存だけが目的で、それ以上のものではない。  

道具としての人間には、柔軟性があり融通が利く。 極端な場合、二次道具としての人間がさらに他の人間を、いわば三次元的に、使うこともあり得る。 人間が作る組織・制度がそのようになっている。 組織の頂上に有る人間は、他の人間を重層的に使うことにより、全体的に、巨大な力を発揮することが出来る。 

このようにして発揮された個人の力も、制度・組織を通して多数の人間を動かし、全体として巨大な力を発揮した例が、歴史上いくつもあった。 ローマ人は、長い年月と多数の人間の力を動かして、巨大な帝国を築き上げた。 ナポレオンは、フランス国民の力を借りて欧州を征服した。 中国の歴代の帝王は、時に長期にわたり、時には短い期間では有ったが、近隣の他の民族を征服して、極めて大きな帝国を築いていた。 歴代の日本の為政者とて、例外ではない。 近隣諸領(藩)の人々を征服し日本全体を治めていた。 

ところが、道具として使われる人間は、自分の意思を持つ。 従って、人間は容易に他人のほしいままにはならない。 他人を道具として使うためには、他人の意思を制御しなければならない。 そこに為政者の側に「民は依らしむべし、知らしむべからず」の観念が発生する根拠が有った。 近世に至って、西欧世界では、一般の人々(庶民)が自分たちの力に目覚め、啓蒙思想が誕生し、ポピュリズム(愚民政策)と王制が否定され、民主主義が唱えられるようになった。 民主主義は人間の主体姓と人権を認め、他の人間を二次道具として使うことの反省の現われであった。  

人間の主体性が叫ばれ、人権が求められるようになった今日、個人の秘密が厳格に守られるようになってきた。 勢い、版権や占有権も主張されるようになってきた。 今や無形の「権利」が、人間生活の主題になってきている。 無形と言えば、個人の権利ばかりでなく、国家(集団)の権利・権力、財宝、あらゆる事物が無形化され、ヴァーチャルな無形の数字(デジタル)な道具が、人間の生活を支配するようになってきている。 キャシュレスで、ペパーレスな世界が現出しつつある。 道具は、無形化しつつある。 ローマの民衆を魅惑したジュリアス・シーザーキケロの雄弁も、強大な道具としての力を回復しつつあるのだ。 

いや、人間の道具使用における「直接的」な関与は、それに留まらない。 二次、三次的な道具は、無形の「遠隔操作」による道具へと進展してきている。 その遠隔さの程度は、地球上に止まらず、天空の世界へと手を伸ばしつつある。 人間は、道具によって、月や火星へと間接的に制御の手を伸ばし、その手(道具)の「所有」についても人間同士が争うようになってきた。 次なる敵と戦場は、もちろん、宇宙人であり、宇宙空間である。