鉄道大臣

夢寐のたわごと

アカウンタビリテイ

最近、国会などで、特に野党が政府の責任を問う場合などでよく使う表現であるが、政府の責任を「アカウンタビリテイ」を問う形で行う。 何故、単に日本語の「責任を問う」という表現の代わりに、わざわざ英語のアカウンタビリテイというのかを、調べてみた。 英語を使うのは、単に「気障をひけらかす」だけが目的ではないことが判った。 下記の定義のように、英語のアカウンタビリテイは、日本語の責任よりも範囲を広く、かつ厳密に「責任」を規定している。 「契約」思想に厳しい西欧世界を考えると、頷ける言葉の使い方である。 

説明責任(せつめいせきにん、アカウンタビリティ英語: accountability)とは、政府企業団体政治家官僚などの、社会に影響力を及ぼす組織で権限を行使する者が、株主従業員従業者)、国民といった直接的関係をもつ者だけでなく、消費者取引業者、銀行、地域住民など、間接的関わりをもつすべての人・組織(利害関係者/ステークホルダー; 英: stakeholder)にその活動や権限行使の予定、内容、結果等の報告をする必要があるとする考えをいう。 本来の英語のアカウンタビリティの意味としては統治倫理に関連し「説明をする責任と、倫理的な非難を受けうる、その内容に対する(法的な)責任、そして報告があることへの期待」を含む意味である。

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西欧世界では、「契約」に厳しい。 西欧人同士が交わす契約は、下記の定義が示すように、日本人同士が交わす「約束」、例えば、「金打(きんちょう)」、「指切げんまん」、「武士に二言はない、と誓う口約束」、などよりも遥かに「厳密」であり、破約を決して許さず、履行を迫る。

契約(けいやく、: pactum, : contrat, : contract)は、複数の者の合意によって当事者間に法律上の権利義務を発生させる制度。 合意のうち、法的な拘束力を持つことを期待して行われるもののことで、特に雇用・売買・所有 等々に関して行われるもの。

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アカウンタビリテイは、こうした厳密な契約に裏付けられた責任であり、不履行を許さない。 その「厳密さ」を探るなら、契約が、契約当事者の「主体性」に係るものだからである。 契約当事者が自らの主体性を「賭けて」約束するとは、「面子を賭ける」ことであり、破約は「紳士としての」名誉を失うことであり、世間に顔向けできない「汚名」をさらすことでもある。  

近世の初頭、絶対王政に立ち向かい、度重なる革命の苦闘を経て勝ち取った個人の「自由」と「人権」の基盤となる個人の「主体性」が掛けた契約を裏付けるアカウンタビリテイを破ることは、自分(の主体性)を失うことであり、自らの「人権」を捨てることでもある。 

アカウンタビリテイは、このように厳しく、過酷である。 ①契約当事者たること、②特定の役職への就職すること、③特定任務就任を許諾すること、等々、自分のアカウンタビリテイを認めることは、契約を結ぶに等しく、逃れることは容易ではない。 いわば、自縄自縛であって、自分を攻撃する自分から逃れることが難しいように、アカウンタビリテイの「縛り」から、逃れることも難しい。 

言い換えれば、軽々しく契約を結んだり、職務責任を担ったりすべきでないように、自分のアカウンタビリテイは軽々しく認めるべきではない。 「自由が、責任を伴う」ように「アカウンタビリテイも、契約も、強烈な主体性の確立を前提」としている。 自らの主体性の確立無くして、他者(人)の責任を問う莫れ」と言いたい。