鉄道大臣

夢寐のたわごと

覚悟(かくご)

武道初心集(大道寺有山著古川哲史校訂岩波文庫)を読みますと、この本は、Ⅰ~~~~=武士たるものは「~死を常に心にあつるを本意の第一とは仕るにて候」で、始まります。 「生きることの前提として、己が命を捨ててかかっている覚悟」が必要だとしているのです。 常住坐臥、死を覚悟しているのは、生きているようでも、死んでしまっているのです。 

覚悟(かくご)

 危険なこと、不利なこと、困難なことを予想して、それを受けとめる心構えすること。

 仏語。 迷いを脱し、真理を悟ること。

 きたるべきつらい事態を避けられないものとして、あきらめること。 観念すること。

goo国語辞書

この本を今少し読み進みますと、特に前半部分がそうなのですが、武士としての「生活の在り方」、「生活倫理」を解説しているように読めます。 倫理書ですから、「あるべき」姿を説明し、そうした理想像の武士を求めているのですが、これを逆に考えると、現実の武士は、このように振舞っていなかったと想像されます。 さらに、有名な「葉隠」を取り上げてみます。

葉隠』は一般の武士を対象にした武士道論ではなく、藩主に仕える者の心構えと佐賀藩の歴史や習慣に関する知識を集めたものであった。 江戸時代には公開が憚られ、一部の人々にしか知られていなかった。

「朝毎に懈怠なく死して置くべし(聞書第11)」とするなど、常に己の生死にかかわらず、正しい決断をせよと説いた。 後述の「武士道と云ふは死ぬ事と見付けたり」の文言は有名である。 同時代に著された大道寺友山武道初心集』とも共通するところが多い。

ウィキペディアWikipedia

この作品も、この解説にあるように、いわゆる「武士道」を説いたというよりも、武士の「理想的な」在り方を述べているので、現実の侍からは、かけ離れた侍像を描いているのです。  

例えば、ここに描かれている武士は、「藩主に忠実に仕える(平和時の鍋島藩の)侍」ですが、その時代(江戸時代)から見て一昔前に、主君を裏切り、殺した武士もいたのです。 戦国時代の武士は、己の死を覚悟するよりも、それ以前に相手(敵)を殺傷することに、高い優先度を感じていたと思います。 

やや、時代小説染みますが、「覚悟!」と言って、相手に切ってかかったり、「観念せい!」と言って、敵に打ってかかったりするのが、戦場の争いの武士の常だったと思います。 戦場では、ミー・ファーストです。 相手を殺さなければ、自分が殺されます。 敢えて、「黙って切られる」のを待つている惚けた侍は、いなかった筈です。 

生物は、「いきもの」です。 本能的に「生きること」を、それも可能な限り「良く」生きようとする筈です。 いかに戦場とは言え、本能がマヒしていない限り、「生き延びよう」とするのが人情です。 いや、「本能的に」生き延びようとする筈です。 

伝聞ですが、先の日中戦争、太平洋戦争中に亡くなった兵隊さんの多くは、「お母さん!」と叫んで死んでいったと聞いています。 教えられたように、「天皇陛下、万歳!」と叫んだ兵隊さんは、少なかったようです。 自分の死を直前になると、思い浮かべるのは「母」の顔で、「国家」の顔(そんなものはありませんが)ではないのです。 

武士とて、人の子です。 自分の死を前にすると、主君の顔より、母の顔を思い浮かべるのです。 人は、間違いなく、主君の愛顧を望み、自分の名誉を重んじ、恥を嫌うでしょうが、それも、生きているからこその話です。 命あっての、物の種です。 「命無くして、なんでこの世かな」。 覚悟の「覚」も、「悟」も人の業、覚悟は、人がするものです。 命、第一です。