鉄道大臣

夢寐のたわごと

森失言の功罪

私は、日本の文化的伝統の中に、女性を「区別する」思潮が流れていると指摘してきた。 その区別を通して、「女性らしさ」が生み出す美しさ、柔らかさ、などを強調することが、日本文化の特徴になっている、と主張してきた。  

今回の「森」による失言を、失言にしているのは区別を差別と取り違えている世間と日本人一般の「無知」が背景になって居る。 世間はもちろん、森自身も、そのことを意識していない。 「女性は、口数が多い」から、女性をメンバーにすると、会議が長引き易い、という考え・主張自体は、事実認識としては、善し悪しの問題ではない。  

この意見、主張を「差別だ、蔑視だ」と受け止める連中の頭の中に、「差別意識」が、潜んでいる。 そうでなければ、「森の発言を、敏感に差別だとは受け止めない」。 普通の意識なら、単に事実認識の感想だと受け止め、聞き流した筈だ。 「女性は、口数が多い」という認識を、「差別的だ」というのなら、「女、三人寄れば、姦しい」とか、「井戸端会議」という昔からの認識に挑戦することになる。 

女の口数の多さの評価は、「だから、可愛らしい」、「だから、子供っぽい」、「だから、好きだ」、などのフェミニスチックな見解へ繫る意見と対立するものである。 

森の発言を非難する連中は、古来からの認識や女性賛美の認識を否定するつもりか? この論議は、本来「水掛け論」に終わるべき性質の議論である。