鉄道大臣

夢寐のたわごと

他家へ嫁に行く

自分の生涯は、終わろうとしています。 子供が4人いましたが、そのうち3人は女でした。 彼等は、他家へ嫁ぎました。 私の家族は、バラバラになりました。 私は、老人ホームに一人で住んでいます。 私が死ねば、私の家族は無くなります。 

女は、他家へ嫁ぎます。 女が自分の家族と思うものは、出自の家族か、嫁ぎ先か、私は、「女」ではないので、判りません。 ただ世界のどこの国、民族、種族であろうとも、「男」が主体で、家系が繋がって行くように思えます。 しかし、私の家系は、私で途絶えるようなので、寂しく思います。 

この男主体の家系の連続を、「男尊女卑」と呼ぶのなら、人間は、他の動物のことは判りませんが、男尊女卑な動物です。 この男尊女卑な動物の世界で、どちらがどちらを「差別する」という議論は、無駄です。 勝敗は、生まれた時に決まっているのです。 

女にも、男にも、それぞれの存在の仕方がある、と主張するのなら、話は別です。 私は、男ですが、女の子を3人も抱えていますから、女の肩を持ち、女の価値、女の文化を認めます。 

女が、女の文化の価値を主張しないのは、女の弱さの表れだ、というのなら、その「弱さ」こそ、女の文化の特質です。 それを主張なさい。 優しさ、穏やかさ、優美さ、奇麗さ、小柄な弱弱しさ、「はんなりとした姿かたち」、いろいろ主張できる美点があるじゃないですか? 化粧、女のファッション、細い声、奇麗な指、数えきれません。 これらこそ「女流文化」の中身です。 

それに対して、いかつい、不格好な、荒々しい、無礼で、鼻の曲がるように臭う、汚い不潔な男の文化こそ、差別に値する下等な文化です。 なぜ、男が優位にあるのですか? それは人間社会を、生まれた時から、「男社会」にしているからです。 男社会で、女が蔑視されるのは当然です。 男女平等というのなら女社会の価値を認め、これの独立と男社会との並立を受け入れるべきです。  当然、他家へ嫁入っても、旧姓(もし大事なら)を維持すべきです。