鉄道大臣

夢寐のたわごと

女の特性

最初にお断りしておきますが、私は、女性についての特殊な趣味のない、3人の娘と一人の息子を持つ、年を取った普通の父親です。 

最近、ある社会的に大きな責任を担う人物が、「女性を差別している」と日本国内でも、世界の中でも非難され、袋叩きにあって、その責任ある地位を辞しました。 私は、この非難、袋叩きは、非難し、袋たたきする側の無知と非寛容に由来すると思っています。  

性の違いは、生理的な自然のものです。 「差別」は社会的事象です。 男女は生理的に異なりますが、社会的には平等で、同列だとする考えが、この非難の背景に存在すると思います。 この考えそのものには、私も同意します。 しかし、女性は、男性に男性としての生理的特性、特徴が備わっているように、男性とは異なる生理的特性、特徴をいくつも持っている、という事実を認めているくせに、先に挙げた社会的に大きな責任を持つ人物を非難する人たちは、その生理的事実の認識と差別意識とを混同していると思います。  

現在の社会は、男性優位に形成されています。 男性優位の社会では、物事の判断の基準も、男性目線で決められます。 男性優位の社会では、物の見方、考え方、など、全てが男性目線、男性基準、男性の立場で決められるので、「区別」、「差別」の判断も、男性目線で決められると思います。 「こんな女に誰がした!」と流れる演歌がありますが、もちろん、男性社会では、どの男と特定するまでもなく、女を女らしく、男がしているのです。 女も、女らしくふるまっているのです。

男女が平等に教育の機会が認められる現代では、仕事を遂行するために必要な能力に男女差はありません。 しかし、とっさに感じる快・不快は、脳の違い・感性の違いから男女間では大きな違いがあり、その違和感が職場のコミュニケーションや仕事の成果に大きな影響を与えます。 自分と違う感性の人のモノの見方、感じ方、快・不快etc を知り、互いにとって居心地がよく、良好なコミュニケーションを図れるようになることはダイバーシティーの第一歩。 多様性を認めて活かす強い組織づくりに欠かせません。(おんなこころマーケってイング研究所)

男社会に中に置かれた女性が、同類(仲間)を求めて寄り集まる傾向を持つのは、「男が支配する社会」では、自己防衛意識、親近感、などから当然のことだ、と思います。 社会ではもちろん、職場でも、家庭でも、学校でも、あらゆる場面で、男が支配する社会では、「男」が、物事の前面にしゃしゃり出ます。 受ける立場の女性は、受ける姿勢を特性、特徴として現わします。 「仮に~」という話は、現実的ではないという非難もあるでしょうが、「仮に、女支配の社会があるとしたら、」性差別問題も、変わった様相を示しているに違いありません。 「小田原評定」という言辞、表現は、男を蔑視しているので、この言葉を使うと、差別的だと非難されるでしょう。 逆もまた真で、女に、優しく、柔らか、かつ、しなやかで、はんなりした言動・仕草は、期待できません。 

しばしば、欠点の反面が、美点であることがあります。 欠点を取り除くと、美点も消えます。 女は「口やかましく」、夫である男に親切なのです。 女は、夫を厳しく、問い詰めるから、夜遅くまで待ちをうろつく男の酔っ払いが少なくなるのです。 男社会では、女の欠点を、都合の良い時は、受け入れますが、都合が悪いと、欠点として詰ります。 といのも、男が社会を支配しているからです。 口数が多いのは、許そうではありませんか。 だから女であり、貴方の女房なのですから。 

女が、寄り集まり、同類で話し合う傾向を持つ一つ理由は、男支配から身を守るためであり、男が、そのように女を仕向けているのだ、といえます。 女の特色、特徴の多くは、支配する男に媚びる女の気持や言動の表れだ、と言えるでしょう。 媚びると言えば、男の側にも、女の機嫌をとろうとして、女が喜ぶ言動に走ることがまま、あります。 男女は、生理的に惹き合うので、お互いに相手の言動の特性・特徴を、作り合っている傾向も見えます。 

「押してダメなら、引いてみな」という言葉があります。 同様に、「理屈がだめなら、泣いてみな」という箴言も成り立ちます。 男女の在り方を「区別」する事と男女互いの「蔑視(差別)」する事は、次元の異なる問題です。 一方は、自然が作る生理の問題であり、他方は、人為的な社会的事象です。 女の口数が多く、姦しいのが、仮に女性の特性・特徴であるにしても、単に特性・特徴であるだけで、この特性に言及したにしても、日本という男(武家)文化社会に内在し、瀰漫する(女軽視の)感じを素直に述べただけで、取り立てて差別した訳ではありません。 この件を、「差別」だと騒ぎ立てること自体が、差別問題に敏感な、容赦の無い、鋭くて繊弱な、女々しい「差別意識」の表れです。  

日本文化には、芸者、芸事(三味線、琴、扇、女性のはんなりとした特有の言葉使いや振舞、仕草、など、)、聞香:香道、などを尊重に値する伝統があるので、普段は、この日本の伝統を特異で、稀覯(きこう)な、日本の女性特有の文化だと持ち囃している世界や日本の文化人も、別の問題が起こると、現に目の前に起こっている別の問題にかかづらわるのあまり、褒めそやした筈の日本の女流文化の伝統が持つ特性・特徴を忘れてしまうことがあるようです。  

もちろん、日本女性の伝統や日本女性の特性、特徴を、始めっから知らないか、興味のない世界の知識人もいます。 こうした無知な人たちすらも、自分が抱く男女同権という基本的価値観に基づいて、深い考えも無く、他の人たちから「差別」を非難する主張が起こるとその主張に同意し、非難の声を揃えて上げるのではないかと思います。 

「女三が人寄れば、姦しい」のは、日本の武家の伝統に由来する男社会の中での自己防衛とお互いの親近感保持の為に、(日本)の貧乏長屋の女性たちが、仲間同士による「井戸端会議」に走り易いことは、昔から知られている日本女性の特性・特徴かもしれませんが、国会のように、愚図で無能な歳費泥棒男がメンバーであっても、会議は長くなり易いのです。 話が長いのは、女性の特徴ではありません。 優柔不断で、決定にたじろぎ、結論を引延ばす男の政治家も沢山います。  

男社会では、男立場の視点が支配的になります。 男が支配する社会の生活に慣らされた女性もまた、男支配に「慣らされている」ために、男視点に立ち易いのです。 女性たちは、自分たちが持つべき視点を見失ってはなりません。女性たちも、女性が人権を主張し、女を主張して、社会へ顔を出すべきなのです。さもないと、過去からの行きがかり上、何時までも、男が支配する文化、社会の中で、生きなければなりません。

女よ! 汝自身を知れ! 男に頼るな!