鉄道大臣

夢寐のたわごと

リーダーシップ外談

今回の「オリンピック委員長後任」の候補者選びにおいても、そうですが、「あの人には、リーダーシップがある」といった評価が、いくつも聞かれます。 日本人、特に知識人、文化人と呼ばれる人たちの間で、リーダーシップを「ある、なし」の問題として受け取られていることが気になります。 

リーダーシップは、オーストリア経営学者、PF.ドラッカーの説のように、「仕事」、「責務」、「責任」であるとするのが、最近の傾向です。 もちろん、仕事、責務、についても、「ある、なし」の論議は可能ですが、文脈から言って、日本の知識人たちが言う「ある、なし」は、ドラッカーの言う責任の「ある、なし」とは、違うものだと、感じられます。 

日本人が言う「ある、なし」は、人徳、資質の、あるなしです。 ドラッカーなら「仕事」の、ある、なしを言う筈です。 観点を変えれば、日本人は、従来の姿勢と変わらず、リーダーシップ論を「人物論」として理解しているのです。 

経営学は、近代化されていても、その経営学の恩恵にあずかる筈の日本人(の頭)は、近代化されていないのです。 これでは、「女の多い理事会の会議は、長くなりやすい」と思う、日本人の近代化は、未だし、と言わざるを得ません。 やっぱり、日本の女は、西洋の女、例えば、鉄血宰相と呼ばれたイギリスのサッチャー首相や現ドイツ連邦の宰相、メルケル、とは違って「お喋り」なんです。  ♬ こんな女に、誰がした ♬