鉄道大臣

夢寐のたわごと

差別

 差別さべつ)とは、特定の集団や属性に属する個人に対して、その属性を理由にして特別な扱いをする行為である。 それが優遇か冷遇かは立場によって異なるが、通常は冷遇、つまり正当な理由なく不利益を生じさせる行為に注目する。 国際連合は、「差別には複数の形態が存在するが、その全ては何らかの除外行為や拒否行為である。」としている。

出典: ウィキペディアWikipedia

女性差別が問題になり、オリンピック組織委員会の会長が辞任しました。 この会長の辞任に大きな役割を果たしたのが世界の識者こぞっての非難でした。 そこで、私が、問題にしたいのが、(おそらく、詳しい点の判らない)世界の識者たちが、今回、日本で起こった、この「差別」事件の意味を理解しているか否か、という点です。 

どのような事件も、その事件が、単独で、空白の時空の中で起こるのではなく、必ず、その事件を取り囲む歴史的、社会的事情や条件の中で起こります。 今回の差別事件も例外ではないと思います。 従って、この事件を評価し、非難するには、そうした周囲の事情を理解した上で為すべきであり、そうでなければ無責任な評価、非難であると思います。 

翻って、差別は、言葉や観念としては、どこにも存在しますが、意味合いは、種族、国民の間で、それぞれの伝統や文化を反映して、少しずつ異なる筈です。 例えば、日本の場合、平安時代源氏物語作者、紫式部や枕草紙作者清少納言を下敷きに、優雅な女流文化を尊重し、崇めますが、他の種族、民族には、おそらく、そのような下敷きが想定できず、それなりの女性尊重なり、蔑視なりが行われていると思われます。 

今回の事件を非難したり、その非難に雷同した世界の識者たちは、深い考えがあって非難したのではなく、日本人識者の非難に雷同したものと思われます。 雷同の種(タネ)は、世界の識者たちが「基本的人権」の思想を、前提として抱いていたからでしょう。  

現代の文明や文化の進歩を測る尺度は、一般に、西欧思想に置かれていますが、西欧思想以外にも、進歩の尺度はあります。 最たるものは、東洋の思想です。 キリスト教文明ばかりが、文明ではありません。 儒教もまた、立派な文明の尺度です。 現代科学技術の遅れをもって、文明の進歩の遅れとするのでは心が狭すぎます。 同様に、啓蒙思想(啓蒙時代)の遅れをもって、他の文化を貶めるのは、思い上がりです。  

差別には、多種多様の在り様があります。 差別にも、人種差別、宗教差別、身分差別、障碍児差別、HIV差別(インド)カースト差別(インド)、その他、など、表現にはいろいろありますが、要するに、差別とは、基本的には、「正当な理由なく、他人(相手)に不利益を及ぼす言動」なのです。 女性を「女々しい」と呼び、女性の仕草を「はんなり」と形容したにしても、決して相手に不利益をもたらしたことにはなりません。 (ひょっとしたら、女性を男らしい、と形容すれば、「差別的」ですか?) 同様に、「暗に」女性は口数が多いと描写しても、女性の愛らしさについて語ったとは言えるにしても、差別したことにはなりません。 ましてや、「蔑視」とは、思いもかけぬ濡れ衣です。 

他の国の識者はもとより、他国の人々は、日本の優雅で美しい女流文化の伝統と文化は知りません。 歴史的事実に対する無知と不寛容の心から、日本の、当然、こうした文化の違いを知るべき知識人や人々が、女性は口数が多いという事実を確証することもなく、先のオリンピック組織委員会長を謗り非難して、他国の「訳の分からぬ」いわゆる識者までも雷同させ動員して、当人を会長職から叩き出するなどは、以ての外です。 こうした、いわゆる日本の知識人、著名人、芸能人、達の「武士の情けも知らぬ浅はかな言動」を、指摘せざるを得ません。 

お前ら、それでも男か(男らしい女もいるな?)! 

日本の身分差別、女性差別には、「正当な理由があるか?」 あると言えば「ある」。 歴史的伝統的、および生理的理由の下、日本では、身分別、性別、上下、先後、男女を区別してきている。 

相手に、結果として不利益が生じたか否かは、明白である。 ただし、不利益や利益を生じても、それを「甘んじて受け入れる」のを、日本では、当然の態度、ないし美風にしている。 というのも、その事実を、「この国の」周囲の人々も受け入れる美しい文化であり、伝統と心得ているからである。 

上司には敬意を払い、部下を慈しみ、先輩を尊敬し、後輩を労わって、嫁しては、夫に従う、日本式の社会習慣は、時に、美風と嘆じられ、時に差別的と非難されるが、その度に、世界の趨勢に対して右顧左眄するのは、「男らしくない」。 

他方、外国の知識人たちは、日本の「おもてなしの文化」を美しいと評価することがあるが、日本の文化は、「おもてなし」だけで発達したのではない。 日本の文化伝統は、多くの要素を含み、他の文化文明と異なる点も多々あると思うが、そのために日本人の良識と異なる評価を受けるのは、日本的観点から見れば不条理である。 

文明の程度を測る尺度は、西欧の文化のみではない。  

この問題を、良い機会と捉えて、日本の伝統を世界に知って貰うとよい。 日本の伝統には、「女」差別以外にも、「差別」意識が残っている。 「女」差別以上に、重大なのは「身分」差別である。

今回の事件に当たっても、新会長をはじめ、多くの取り巻き連中、マスコミ記者、らが、退任していく旧会長を「先生」と呼んでいる。 

文字通り解釈すれば、昔の人たちは、全て「先」生である。 先祖を貴ぶのは、日本のみならず、世界一般の慣行であると思う。 その慣行を持って、「差別」とは言わないと思うが、しかし、おそらく、日本では、「先生」は、格別の意味合いをもつ「敬称」である。 相手が先生であれば、「一歩譲って」、物事を運ぶのは、社会生活上の慣行であって、日本の伝統では、これを「美風」と受け止める。