鉄道大臣

夢寐のたわごと

人情

アメリカ映画やその他の西洋の映画(例えば、フランス、イタリア映画)などをご覧になっている方なら、西欧人の間にも、「人情」があることは、具体的にお分かりいただけると思います。 例えば、西部劇「シェーン」、「3人の名付親」、小説ならオ・ヘンリーの作品、牧師ブラウン、などをご覧になると、西欧風のユーモア、人情、などがお分かりいただけると思います。 

だが、日本人が言う「義理と人情」は、なんとなく違うのです。 日本人同士の間でも、年齢が違うと、やはり、少し違うようです。 ちなみに、私が思うのに、日本人の言う義理、人情は、現代の浪花節や演歌、民謡によく表されていると思います。 私の年代ですと、演歌、明治一代女、すみだ川、十三夜、一般歌唱では「惜別の歌:島崎藤村作」、「人を恋うる歌:与謝野鉄幹作」などが心へ沁み入り、情を揺すります。 

では、どう違うのか? 曰く言い難い「違い」です。 最近、女性差別の問題が大きく取り上げられていますが、演歌の文章を玩味すると、「女の立場」の弱さ、哀れさ、が表現され、しかも、女の方で、自分たちの弱さ(嘘か、本当か、は別として)、哀れさを十分に「自覚、認識」した上で、男心をソソロウとする気配がうかがわれます。  

元々、演歌の作詞家が男性であるため、女をそのように描写しているのだ、と言えなくもありませんが、それでも、女の側でも、そのことを自認して、男を操っている面も感じられます。 極論すると、女の立場は、男のそれと同等で、見方が逆なだけだ、と言えなくもありません。 差別なんかなくて、あるのは「区別」だけだ、と言えそうです。  

男と女は、生理的に違うのです。 「口喧しい」という性質を取り上げるなら、男にも、女にも、音声のトーンが違うだけで、同じように口うるさい人物がいます。 ソプラノでやかましいか、バスでうるさいかだけの違いです。 考え方は、男の視点と女の視点との間には相違があるかもしれません。 物事、事態の細部に気付く、大まか、云々は、男女の相違からくるものかもしれませんが、これを「差別」の種にするわけにはいきません。 

最近の差別問題は、森ナニガシが、槍玉に挙がった件ですが、彼は日本人の間(彼の年代の連中)の一般常識を述べただけで、差別したとは思えません。 ただ、外国の識者は、日本文化、伝統を知らずに、基本的人権という錦も御旗の知識、観念に基いて、日本の無責任な知識人、マスコミ、芸能人の言っていることに「付和雷同」したものと思われます。 

義理、人情は、外国にもあります。 だが、少し違うのです。