鉄道大臣

夢寐のたわごと

私の年齢になると、将来は無い、 あるのは現在と思い出だけである。 独りで夜遅く考えていると、忘れた部分はともかく若い世代の皆さんとの現実認識のズレを大きく感じる。 今夜も、古い演歌を聞いていたが、現代の若者が考える「人情」と私が感じる「人情」の中身が、少し違うような気がしてきた。 

感じ取り方の違いは、性別から来るのかもしれない。 私は、年齢差からきていると思う。 その証拠に、若い女性職員たちに聞くと、演歌じゃなくて、軍歌を聞いたり、歌ったりするときに感じる「人情」が違うらしいからだ。 戦場で、耳の傍を敵が打つ鉄砲弾の音が流れ、目の前の戦友が死んでいくのを見とる「情」は、筒井筒の男女が恋心で交わす「情」とは違ったものであると思う。 それでも、「人情」と一からげにして言う。  

友情と愛情は、別物と言えばそれまでだが、「友愛」という言葉もある。 確か、フランス革命で叫ばれた標語で、明治の自由民権運動時代に「自由、平等、友愛」と訳された言葉がある。 この友愛は、兄弟愛、姉妹愛にも比すべき「愛」であり、仲間へ呼び掛けるものである。 

私の時代の「情」は、「愛情」も含めば、「友情」をも含むものであった。 例えば、与謝野鉄幹作詞「人を恋うる歌」や島崎藤村作詞「惜別の歌」にある「情」は、深い「友情」を表していると思う。 それどころか、土地(故郷)といった無機物への愛情までも含んでいる。 

人の「情」は、洋の東西、古今を問わず存在する。 「乾いた情」と「湿った情」の違いがあるのではあるまいか?