鉄道大臣

夢寐のたわごと

リーダーシップ展望(改)

展望

このブログは、私の生涯(90有余年)を懸けて書く長い論文の一部を為すものです。 私は、リーダーシップを、①該当リーダーによる目標の設定、② 該当リーダーが設定した目標の達成(実現)、③ その目標を掲げる該当リーダーが抱く価値観、の三局面から、捉えられると思っています。 

会社など、新しく組織に加入した人には、大抵、最初に、例えば新入社員訓練、または、オリエンテーションが、施されます。

「オリエント」とは、「東方」という意味ですが、古代ローマ人は「光は東方から」という箴言を持っていました。 この箴言の企業などで使われる現代的意味は、「文明の方向へ向く」、つまり、方向付けする」と言うことです。 

方向付けは、目標を与えることに他なりません。 つまり目標設定を、集団への新規加入当初に行うのです。

*****************************************************

(ひかり)は東方から

 古代ローマのことわざ。ローマの文化は、東にあるギリシャの文化を受け継いでいるの意。転じて、世界の文明は初めにエジプトやメソポタミアなどオリエント(東方)に興ったの意。

ウイキペディア

*****************************************************

 

目標設定

従来から、特に日本ではもちろん、西洋でも、リーダーを論じることは、豊臣秀吉や徳川家、などの英雄・豪傑、つまり「人物」を論じること、混同されていました。 その傾向は、西欧、東洋、共通しているのです。 例えば、西欧世界で持て囃される「プルターク英雄伝(この日本語訳の題名自体が、この論を翻訳した日本人の人物志向的傾向を示しています)」は、帝政ローマ時代に、ギリシャ人のプルタルコスが、古代ギリシャ古代ローマのめぼしい人物を比較し述べ、解説した論文ですが、これをリーダーシップ論だと捉えると、この対比論文は「人物論」そのものです。 

他方、近代になって、ユダヤ経営学者のオーストリア人P・F・ドラッカーは、「リーダーシップは、仕事(責務)であって、人間の資質ではない」と主張しました。 彼は、アメリカのオハイオ州クレアモント大学院で教鞭をとり、アメリカのクレアモントで95歳で亡くなっていますが、極めて多数の経営学関係の書物を出版し、日本でも2005年にドラッカー学会が成立され、大変多数の「信者?」を集めています。

 

歴史的に、リーダーシップ論は、元々、リーダーの在り方が、臣民なり、国民なり、そのリーダーに従う人たちの生活に大きな影響を及ぼすので、リーダーの良否、可否を論じる、「人物論」になり易い傾向があったのです。 リーダーが、従ってくる集団を、どのように率いるかは、その集団に属する人々の生活に大きく影響します。  

以上を一般化すると、リーダーが、どのように発想し、何に着眼して、目標を定めるか、つまり、リーダーによる目標設定が、大切になります。 

天才と秀才は異なる、と言われています。 私の理解では、秀才とは、努力を重ねて、聡明、発明になった人、天才とは、生まれつき聡明で、発明な人、ということです。 例えば、寒い日に、主君、信長の草鞋を胸に入れ温め、主君が家から出てくるのを待っていた下郎、木下藤吉郎(後の豊臣秀吉)や若冠20歳の頃に自分の実父を追放して領主の座を得、その挙句、瞬く間に近隣の諸大名を制圧した武田信玄は、天才でしょう。

 

彼等の発想、着眼は、事の善し悪しは別として、卓抜しています。 瞬く間に欧州を制圧したナポレオンも、天才的だったといわれています。 それに対して、徳川家康西郷隆盛、現アメリカ大統領バイデン、らは、努力の人、秀才だ、と言えるのかも知れません。  

ともあれ、優れた発想・着眼が、「閃く(ひらめく)」物だとすれば、目標設定は天才の関わる領分です。 しかし、発想、着眼が、積み重ねた苦心の末に得られるものだとすれば、秀才の為しうる所です。 天才的リーダーの存在は否定せずとも、艱難の末に果たすリ―ダーシップの存在を示すことの証左になります。 

リーダーシップを得ための艱難辛苦する場合、是非心得て貰いたい点は、暴虐無残なリーダーもあり得ることです。 泥棒ややくざ群れにもリーダーは存在します。 全てリーダーが、上杉鷹山のような聖人君子ではありません。 しかし、人々の集団を率いる先導者、案内人は、多くのキリスト教徒が憧れるサマリア人のような「善き人」であって貰いたいものです。

*****************************************************

善きサマリア人

ルカによる福音書10章の29節に、ある律法の専門家が「わたしの隣人とはだれですか」とイエス様に尋ねたときに、イエス様が示された喩え話に出てきます。

ある旅人(ユダヤ人)がエルサレムからエリコに下る途中、追いはぎに襲われ、半殺しのひどい目にあったとき、たまたま通りかかった祭司は同胞にも拘らず、見て見ぬふりをして道の向こう側を通り過ぎ、次に通りかかったレビ人も同じく、無視して通過。 しかるに次に通りかかったあるサマリヤ人はこの被害者を哀れに思い、介抱し、宿屋に連れて行き、お金まで出して後事を託した、という話です。

ご承知の通り、ユダヤ人とサマリヤ人は歴史的に対立関係にあり、いわば犬猿の仲。それにもかかわらず、よりによってこのサマリヤ人が冷たい同胞に代わって面倒を見たという訳です。

出典:ウイキペデイア

*****************************************************

目標設定は、リーダーが抱える価値観に基ずきます。 リーダーが善き人であるか、悪人であるかによって、そのリーダーが導く方向、目標も異なってきます。 言い換えれば、リーダーが掲げる目標の種類、方向、程度、なども、異なるとともに、彼が先導する方向も異なってくるのです。 それどころか、目標設定の「仕方」が下手で、従う人たちに良く分からない事も、ありえます。 逆に、上手なこともありますが、幾ら上手でも、善き方向を目指すものでなければならないのです。 

善きリーダーは、例外無く、高潔で、高い倫理観・道義観を抱く人だと言えます。 抽象的ですが、気高い目標を掲げ、その目標の実現に万難排しても邁進するリーダーが、強き善きリーダーだと言えます。

*****************************************************

価値観(かちかん、: sense of values)とは、何に価値があると認めるかに関する考え方。 価値(善・悪、好ましいこと・好ましくないこと、といった価値)を判断するときの根底となる ものの見方。 ものごとを評価・判断するときに基準とする、何にどういう価値がある(何には価値がない)、という判断。

出典: ウィキペディアWikipedia

*****************************************************

江戸時代が終わって現代まで、およそ150年経ちますが、その間に、日清、日露、第一次世界大戦日中戦争大東亜戦争、など、5回も戦争を経験し、明治時代には、さらにコレラ天然痘パンデミック、戦争続く世界的経済恐慌、度重なる地震津波、など、この比較的短い期間に、落ち着かない変化に富む社会情勢・事件が続発しています。 

他方、江戸時代は、約250年も続ききましたが、時代経過の途中で、地方に、小規模な騒動や反乱が散発するだけでした。 250年のほぼ中ごろ、重商主義的政策を進めたが、汚職が多かったため、老中(宰相=リーダー)田沼意次の行政は、世間(庶民)の顰蹙を買いました。 引き続く、(老中)松平定信重農主義に立った厳しい緊縮政策を軸にした政策を採りました。 行政の急な転換に困窮した庶民は、その急転換を嘲笑い「白河(白河藩松平定信)の清きに魚(庶民)も住みかねて、元の濁りの田沼恋しき」と戯れ唄を流行させるほど優雅な気持ちの上で余裕を持っていました。 このように、江戸時代は、おおむね、豊かで、平穏な時代だったのです。 

江戸時代、明治時代を通じて、色々な分野に大小の集団のリーダーが存在したと思われます。 そして、それぞれのリーダーが、自分なりに、それぞれの価値観を抱いていたと思います。 その結果、色々な分野で、色々な程度の善きリーダー、悪しきリーダーも存在したはずです。 我々の期待は、出来るだけ多くのリーダーが善きリーダーであることです。 

善きリーダーを産み出す背景は、信仰、道徳教育の在り方、社会(周囲=文化=伝統)の一般的レベル(倫理・道義心のレベル)、だと思います。 この個人的レベルはともかく、社会・文化的には、このレベルは、今回の新型コロナ感染に対する免疫のように、集団免疫(集団道徳度)によって相当程度まで達成されると思います。  

もちろん、鬼平犯科帳著者(池波正太郎)も言うように、「世に悪は絶えない」ので、悪しきリーダーは、いつでも、存在します。 善きリーダーのみで、世間を埋め尽くすことは出来ないのです。 

今一つ、善きリーダーを選ぶ根拠があります。 それは、リーダーには、従う人たちが居ることです。 リーダーが掲げる目標の「納得度」がリーダー選別の大きな基準になります。 リーダーの掲げる目標、示す方向を、納得、合意、そして支持すればこそ、人々は、そのリーダーに従うのです。 リーダーが、「先導者」であることを忘れてはなりません。 特に、民主主義の時代においては、「民意」が基本です。  

実は、善き人か、悪しき人か、の選別も、従う人々が行うのです。 例え、一時的に、悪しきリーダーの目晦ましによって誤った目標、方向を設定されようとも、それは一時的現象です。 

(この長編ブログの次のテーマは、目標達成(実現=目標の手段化)です)

リーダーシップ考察メモ