鉄道大臣

夢寐のたわごと

繰り言57 (老人ホームの介護)

有料(おそらく、無料も含めて)老人ホームはで、「介護」などは与えられません。 与えられていると思う人がいるとすれば、その人は「錯覚」しているのです。 老人ホームには、一日中(時刻を特定せず、多くの場合、見回る担当者にとって都合の良い時間に)監視人が、入居者を覗いています。 監視する理由は、精神に異常を抱えるなどの老人が不適切な行動に走らないか、否か、を見守っているのです。 なぜ、彼等は、そのような「労」を取るのか?

お金です。 給料です。 極めて稀に、使命感です。

このような誤解や錯覚が、監視(監督)する側にも、される側にも引き起こされています。 こうした誤解や錯覚が起こる最大の原因は、老人ホームに、精神的に異常な人(要支援一、要支援二、要介護一、要介護二、認知症患者)、と精神的に正常な人(自立者)との「混住」です。

これは推測ですが、混住させる理由は、複数の老人(異常、正常を含めて)を「管理」するためには、一般に、人手が限られているので、対象となる老人群の「平均」を目安、ないし基準にするため、「味噌も糞も一緒」の管理をせざるを得ないからです。

通常、老人ホームは、家庭では面倒見きれない老人(「訳アリ老人=糞」)が送り込まれるので、勢い、訳アリ老人(糞)の比率が正常老人(味噌)のそれよりも高くなります。 味噌も糞も一緒に管理する場合、管理の目安を比率の高い方、つまり(糞)が、管理の目安になります。 言い換えると、「糞を手厚く」、「味噌は適当に」介護(管理)すると、扱いの効率が良くなります。 

食事についても、似たような現象が起こります。 提供する方の都合(厨房=管理者)に合わせて、食べる側(老人)の都合に関わり為りなく、食わせるのです。 極論しますと、動物に「餌」を与えるのと変わりません。 生物はすべて同じですが、食いたくなければ、食いません。 食うか、食わないかは、食べる側の自由です。

この食う側の自由を、一見、尊重するかのように見える扱いも、尊重の限度を超えると、拷問になります。 拘束がないことを、勧誘の「売物」に謳う老人ホームがありますが、もちろん、嘘を売物にしているのです。

社会的通念によれば、老人は、ボケの程度に差はあるものの一般に「ボケ」ています。 問題は、「老人」、「ボケ(精神異常)」の定義にあります。

  •  このブログを書いている私は、92歳です。 程度の問題は 残りますが、「私は、ボケている」と思われますか?
  •  私は、精神に異常のある老人だと思われますか? 異常が あると思われるなら、どの程度の異常だと思われますか?

また、老人たちは、ボケていると、世間でも、自分でも、「思う」その「思い」によって、(老人たちは、自縄自縛的に)、また、世間によって拘束されていると、私は思います。 

この老人たちがボケているという「思い(社会通念の、本人たちの)」を逆手に取って「拘束していません」と強弁する老人ホームもあります。 この逆手に取る(老人のボケを利用する)手法は、他の事にも応用することができます。 

例えば、手抜きのために、一般の人なら不味いと感じるだろう食事を、世間へは「多くの入居老人から、食事の苦情は出ていない」と強弁し、入居者は食事に満足していると上部へは報告して、不味い手抜きの食事を出し続ける老人ホームの厨房担当責任者もいます。

「老人は、一般にボケている」という「社会通念?めいたもの」を盾にとり、何らかの利得を求めて、諸事について高齢者(老人)の行動へ容喙し、若者(老人ホーム管理者を含めた)の老人の自由な行動を妨げようとする不適切な言動があります。 こうした若者の言動は、一般的な表現で言えば、「若者による老人拘束・虐待」です。