鉄道大臣

夢寐のたわごと

繰り言73 (緊急事態)

地震、火災、その他、緊急事態が発生すると、老人、病人、その他障碍者などの弱者が危険に曝され易いことは当然だが、現在の社会の人々の考え方では、その危険が倍加する! パニックに陥ると、現在の人たちは本能的に、健康人、若者、など、誰でもが自分の命を優先させて、弱者を「押しのけても」、自分第一で行動する。

現在の社会の人々は、老人ホームの職員を含めて、一介の労働者として、自分と自分の家族の為に働いている。 老人ホームの職員も例外ではなく、自分の命を犠牲にしてまで介護の対象となる弱者を守る義務も、義理も感じていない筈だ。 

こうした状況では、弱者を守るには、個々人の身に付いた「倫理観」、「義侠心」に頼る以外に手はない。 昔の様な「道徳教育」が、子供の頃から、必要な所以である。 池波正太郎も書いたように「いつの世も、悪は絶えない!」から、幕府の「火付盗賊改め」の鬼平長谷川平蔵)だけでは、この状況には及びもつかない。

翻って、「孟母三遷」の教えにもあるように、幼児の頃からの周囲の環境が人を躾ける。 手本、模範が人格形成に大きな役割を果たす。 第一に、国民の「選良」である総理大臣を始めとする内閣の諸大臣や国会議員の国民の「範」であるべき役割は大きい。 

社会全体の気風が、「弱きを助け、強きを挫き、悪を憎み、善を良しとする」義侠の心に満ちていなければならない。 その為には、言い古されたことだが、他人の不幸を見逃さず「率先」して救急を垂範する気持ちと姿勢が、人々全体に行き渡ることが望ましい。

理知を根底に置く科学を前提にする考え方は、「事実」を中心にして、具体性を重んずる傾向に傾くが、この考え方は「科学」には適合しても、必ずしも、「人間性」には適合しない。 事物を取り扱う事象は、統計的、数量的、そして事実中心に具体的であるべきだが、人の心は、信仰(宗教心)を含めて、倫理(道義)的であることが望ましい。

科学は、全てについて第一義ではなく、「科学的」である以前に、「人間的」であるべき場合もある。 地震や火事、など緊急事態への対応は科学的に、だが、そのような場合でも、人間への対応は、道義的に!

近世になって、西欧に起源を持つ自然科学が、大きな成功を収めた為に、自然科学を万能だ、と受け止める傾向が強くなってきた。 しかし、自然科学は万能ではない。 確かに「科学的に」思考を進めることには意味がある。 だが、思考形態ですら、科学的であることが、唯一ではない。

まして、緊急事態では、科学的に考えて対応する「ゆとり」はない。 緊急時に弱者を救うには、身についた「直観的」、または「本能的」反応の方に意義がある。 孟子が言った「惻隠の情」と言う奴だ。

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「惻隠の情」の由来は、儒教の教えにあります。 そこには「惻隠の心は仁の端なり」とあり、意味としては、「相手を思いやる心、哀れむ心がやがては仁(人生の最高の徳)に到達する」というから来ています。 ですが、現在では「惻隠の心」ではなく「惻隠の情」という風に使われるようになりました。

出典:言葉の手帳

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