鉄道大臣

夢寐のたわごと

老人ホーム生活

私は、この会社の系列に属する老人ホームの施設を転々と何か所か移り住み、20年近くも住んでいます。 しかし、私は、自分の意思で、この施設へ入所したのではありません。 入所の時点では、私が患っていた先行するある病気のため、私は、思考力に障害が生まれ、十全の思考ができなかったのです。

私の老人ホーム入所の時点には、まだ生きてい居た家内と成人に達していた私の子供たちが、おそらく医者とも相談した上で、成人していたとはいえ子供たちだけでは、(その後、間もなく亡くなった家内が先導して)到底、私を「養うことができない」と考え、家族で、私を老人ホームへ預けることにした、と聞いています。

病院から、老人ホームへ移り住んだ時のことは、本当に漠然と記憶に残っているだけです。 私は「何故、そこにいるのか」は、もちろん、どのようにして、その建物へ来たのか、その経緯が、そしてそこにいること自体が、夢か霧の中の様で、薄らとしか覚えていません。 後で知ったことですが、その建物は、JR大船駅まで、路線バスで乗り換えなしで行ける便利なところにあった横浜市栄区の某所にある小さなビルでした。

その施設で、何回か寝起きし、食事もしました。 食事では、何人かの仲間が一緒に、同じテーブルで食べました。 同じテーブルに座っている仲間の顔は、ハッキリしません。 テーブルの薄い霞の彼方に、数人の仲間が座っているだけで、彼等の名前は、ハッキリしないのです。 思い出しそうで、思い出せないのです。

食事をしていたのは、確かその施設(ビル)の3階にあったホールの(大部屋)だったと思います。 自分の部屋(個室)が、何階にあったかは、思い出せません。 だが、その建物に住んでいました。 便所には、囲いが付けられた共用の便器が、何か所か並んでいました。 個々の便器には入り口の扉の代わりのカーテンが付けられていました。 便所(室)の一番奥に、独りでゆっくり便をすますことのできる木製の扉のついた便器(室)がありました。

私の部屋のすぐ隣の部屋に、親切な老婆が居ました。 彼女は、周囲の人たちに声をかけ、仲間を作っていました。 まもなく、新築の建物へ引っ越すことになっている、と教えてくれました。 そのお婆さんが言っていたように、間もなく、北鎌倉のこの会社の系列の別の施設(新築)へ転居しました。

以上は、20年近くも前の話です。 病院でもないこの有料介護付き老人ホームが、私に施して呉れたメリットは、私の「思考力」が、20数年の老人ホーム生活の間に回復したことです。 このことは、本当に有難いことだと思っています。 

老人ホームは、「治療」の場でもあるのです。 ただし、勝手ながら、「治癒」は施設の「力」だけでなく、当人の「力」にも負うところもあると思います。 当人の力という意味では、老人ホームは、環境、つまり「場」と「機会」を提供して呉れるのです。

また、環境という意味で、家族の助言、助力、協力やその他の周囲の条件も、「治癒」に関係すると思います。 私の場合、家族が、70歳の頃、パソコンという道具を与えてくれました。 この道具は、随分と能力回復に役立ったと思っています。 良い家族を持ったと、今は亡き家内と大人になった子供たちに感謝しています。